「仏果を得ず」三浦しをん:著

なんと綺麗な黄八丈

 東京の半蔵門線沿線で、よく見かける文楽のポスター。写っているのは人形のみ、とてもシンプルなポスターだ。しかし、とても美しい。私は時折ハッとして、思わず足を止めてしまう。写真は最近貼り出されていたものだが、このはりつめたテンション! 思いつめた人間のドラマティックな表情が、なんとも美しい。そういった文楽独得の情念やパッションも勿論だけれど、私が特に目を奪われるのは、その着物姿の見事さだ。
 文楽人形こそが、最も美しい和服の着こなし――その具現化じゃないだろうか。あのフォルム、形、そしてシルエット。よく見れば文楽人形は、非常に腰高で手足が長く、本来の日本人体型とかけ離れた寸法だ。胸は豊満といっていいほどに膨らみ、しかしながらウェストから尻にかけての線は、よどみなく美しい。余談だが地唄舞文化功労者、武原はんの追及した着付スタイルというのは、文楽人形のそれだったと思う。
 なーんてことを考えながら、話題の本を読んでいた。文楽修行に励む若者の話、青春譚です。うーん、ひとこと読みやすく、面白い。ものすごく、大事なことだ。しかし、面白く、読み易すぎて、マンガチックに過ぎるところもある。文楽浄瑠璃や歌舞伎芝居のようなアナーキズム、ご都合主義、荒唐無稽さを狙ったのかもしれないが、活字でいきる種の面白さではない。ちょっとミソをつけるとすれば、あえてそこだけ。
 文楽の大夫(たゆう・物語を語る人)が精進し、悩み、芸の壁をひとつずつ乗り越えていく。新作の「芸道もの」が出来るなんて、素敵なことだなあ。そう、「鶴八鶴次郎」とか「一の糸」とかの芸道もの。すっかり絶滅したジャンルかと思っていたが、こんなフレッシュな作品が出来て、何だか嬉しい。そう、今でも国立劇場の研修生が何年かに一度募集されて、実際に若者が受験しているのだ。文楽でも歌舞伎でも、生まれたときから三味線や義太夫がそばにある人に、最低でも18歳ぐらいから追いつこうという世界。無理かもしれないけど、やるしかない。そんな、まっさらな主人公の気持ちが非常に素直に描けている。読後は、とても爽やかだった。

 これも美しい「妹背山」のお三輪。かと思ったら、「野崎村」のお光でした。どうでもいいが今、最初に「お美輪」と変換されて非常に驚いた。これだけでものすごく印象が違う。いきなり黄色の髪の毛の日本髪が浮かんできた。衣装も石持ではなく、イッセイ・ミヤケによる「プリーツ・プリーズ振袖」とか着てそう。霊視できそう。


○私信
ねんざ、随分よくなりました。ほぼ治ってるんですが、こないだ久々に泳いだら、まだキックは出来なかった。結構、痛めてるんだなあ……。でも、チョロッと書いただけなのに、覚えていてくださり、心配してくれる方がいらっしゃる。ありがたいことです。メールやら、お電話で気遣った下さった皆様、ありがとうございました。


○お知らせ
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