そしてさらに「じゅん子」追想

山本富士子&長谷川一夫

 東京、雨です。けっこうな雨。冷たい春の雨。こんなとき毎年一度は思い出す、「春雨じゃ、ぬれてゆこう」というフレーズ。これって原典なんなんでしょうね。ググってみましょう。へえぇ……ふうん……新国劇の「月形半平太」だそうです。これで「ああそうなんだ」って分かる人どのぐらいいるというのか。新国劇島田正吾とか辰巳柳太郎とか。一番今有名なのは緒形拳さんか。彼が若き日に属した劇団じゃった……孫に見向きもされないジイさんみたいになってますね私。月形半平太……長谷川一夫市川右太衛門北大路欣也のお父さん)がやったのを昔見たような。しかし取り留めのない前説だ……今日は昨日の三原じゅん子に関する追想とプラスアルファ。
○そして「じゅん子」追想 
 昔は確か……「三原順子」だった。多分私が5歳ぐらいのとき、彼女が「チアリーダー」に扮したドラマがあったと思う。(あえてググらない。こーいうの、おぼろげな記憶だけで書いてみたい。今はなんでもネットで「ひけ過ぎ」ちゃう。それが、文章を書いたり読んだりということを、つまらなくしている部分があると思う)
ラグビー部のキャプテンが、「俺たちが勝ったら(何にかは失念)、お前たちヌードでチアやれよ!」とかなんとかはやし立てる、そんな回があった。するとチアリーダーの順子は、ひるむどころかキッと睨み返し、「わかったよ……だけどあたし達が勝ったら、あんたたちは裸でラグビーやるんだよ。わかってんの?」とメンチ切っていた。これが、忘れられない。センセーショナルだった。
 それまで私にとって「テレビに出てくる女の人」というのは、一にも二にも明るく、可愛く、爽やか。ジャストこれだけだった。「ピンポンパン」のお姉さん(私の代は酒井ゆきえさん)「コメットさん」(私のときは大場久美子。当たり前か)に象徴されるような、絶対的に優しい存在。私がはじめて見た「強い女」「男と立ち向かう女」そして「斜(はす)に構えた女」、というのが三原順子だった。オーバーにいうと、この世の影や陰の部分の文化や味わい、といったものの入り口にいたのが、じゅん子。だからどうした、という話だが。でもなんとなく、書き留めておきたかった。


○追記
 どうでもいいが……私はいまだにテレビで「酒井ゆきえ」さんを見かけると、なんとなく、嬉しい。それはファン、とか好きとかいうことじゃなく、「パブロフ」なんだと思う。子供の頃「優しそう」「わーいピンポンパンだ」と嬉しくなった気持ちが残っているんだと思う。幼児期刷り込み、この恐ろしさを痛感する存在、それが酒井ゆきえ。


○追記2
 本当にどうでもいいが、昔目黒で「大山のぶ代」さんにすれ違ったことがある。その瞬間「ドラえもんの声やってほしいなあ!」と心から熱望してしまった。さすがに声かけれなかった。多分、何万回も「ドラえもんやってー」という無神経なお願いを突如されているだろうから。でも、もしも「あつしくん大好きィ」と、あの声でやられたら……そう想像した瞬間、涙があふれそうになって驚く。なんちゅうか……心を丸裸にされてしまうような気がした。あああ……やっぱり呼んでほしい。ドラえもーん!
 なんとなくこれだけで「ドラえもん」に見えてくるから不思議。


○行状雑記
 半蔵門にて『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』の試写。「いいから」ってなぐらいトム・ハンクスが脱ぐ。外人中年専にはたまらないであろう。夜は渋谷・のんべえ横丁の「鳥福」にて焼鳥。そして「シノン」に移動して、グラスワインをたんまり頂きました。まずは「DEUTZ」で乾杯。フランソワ・ヴィラールという造り手のヴィオニエ、ミシェル・ブズローのムルソー、「モスカート・ディ・ポリ」というグラッパが特に心に残る。編集のヤマウラさん、誕生日お祝いしてくれてありがとうございました。
 



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