テレビのこと――「休日」

大好きだったふたり

 ゴールデン・ウィーク。今年は3・4日が週末だったのですね、曜日に関係ない仕事をしていると、ついそんなことを忘れてしまう。昨日は休日だったのか、ということに気づいたら、小さい頃に感じた、やりようのない怒りも同時に思い出した。
 連休が日曜日に重なる。それこそ何か損をしたような気になって、あの頃感じた、やるせない感傷がよみがえった。ワガママに育った私は、「こよみ」というこれ大きなものに対してまで、ぶつけようのない怒りを感じていたのかもしれない。しかし思えば、休日というものが手放しで喜ばしく、待ち遠しいものと思っていたからこその、気持ちなのだ。
「休日なんてどこいっても人混み、家でジッとDVDでも」
 こないだフト友人にもらした自分のセリフが浮かんで、なんだか妙な気分になった。


 小さい頃は、休日というとなぜかそれだけで、嬉しかった。テレビがいつもより、にぎやかに思えた。日頃は見られないお昼の番組が見れる、なぜかそれが楽しみで仕方ない。
 朝の連続テレビ小説から「ポンキッキ」というフジテレビの子供向けバラエティ、それから3チャンネルに合わせて、理科やら社会の番組。これが楽しみだった。いろんな動物や虫の生態、植物の育つ様子、そして日本各地の町や自然……これは午前中ずっと続いていた。そしてお昼の定番、「笑っていいとも!」と「いただきます」。この1時間半は、笑いつづけていた幸せな記憶しか残っていない。
「そんなに面白いの」
 親があるとき、あきれたように聞いた。「笑っていいとも!」は、今のようなスタイルではなく、もっと芸人の話術、ネタをじっくり披露させるコーナーが当時は多かった。まだ若かった明石家さんま笑福亭鶴瓶清水ミチコ(それこそデビュー当時だった)が各々10分間、それぞれタモリと喋りつづけるシンプルなコーナーがあったのを思い出す。生放送で10分、自分の責任の時間を持つ。すごいことだったろう。
 これだけテレビにかじりついていたのに、親に怒られた記憶もさしてない。転校が多く、また社交的でもない私を憐れんでいたのだろうか。


 そして午後。この辺の時間から普通の子供は、遊びに行ったりするのだろう。しかし私の「テレビかじり虫」はまだまだ続くのだった。この辺の番組セレクトには、今の私の嗜好、その片鱗が出てくるような気がする。
 金子信雄の料理番組はお気に入りだった。子供心に……失礼ながら「危ないオッサン」だなあ、と面白く見ていた。なにせお酒を本番中に飲んでいるのだもの。上機嫌になって、赤ら顔で料理を作る。彼が
「分量なんか適当で……」
 そういった瞬間、アシスタントの女の人が「ここで二分の一カップ」と絶妙な間で発言したことがあった。金子さんはすかさず
「かしこいねえ、あんたは」
 記憶違いでなければ、たしかこう仰った。人を喰ったような、なんて言葉は当時知る由もないが、そんな気持ちになった。
 それから「徹子の部屋」、2時間サスペンスの再放送、5時台のアニメ……きりがない。これらについても枚挙に暇がなく、ちいさなエピソードが浮かんでくる。


荻島真一田村亮、この二人が大体悪いことしているのよ」
 母は2時間ドラマの犯人を当てるのが得意だった。大体1時間見ると
「多分、この人よ」
 と、唐突に呟く。私はそのたびに、いつもドキッとした。しかし1時間経っても、「ご宣託」がないことも、ままある。
「おかあさん、犯人だあれ」
「このドラマ……よく出来てるわね」
 テレビから眼を離さずに、母はそういった。荻島真一が出ていたが、彼は犯人ではなかった。しかし、誰が犯人だったのか、まったく覚えていない。荻島さんは若くして亡くなられて、田村さんは、まだたまに犯人役をやっている。
 と、テレビの思い出ばかりをなぜか綴ってしまった「こどもの日」。気がつけば、今日は朝のニュースをつけただけで、その後ブラウン管は真っ黒のままだ。
 子供のときに一生分のテレビを見てしまったのだろうか。


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