「ガラスの仮面」

こわい子……

 困ったもんだ!!
同じようなことを、すでに多くの人が書いている。けれど、やっぱり同じ感慨に至ってしまう。「ガラスの仮面」って、ほとほとハタ迷惑な漫画ですね……もう続きが読みたくて仕方ない! その間、何も手につかないったらありゃしない!
 最初に読んだのは二十歳のときだった。あのときも、大変な目に遭った。夕方頃、近所の書店で文庫版を三冊求め、それを読み終わったのが夜の7時ぐらい。
 ああ……このとき感じた「この先どうなる!?」という求知心、そして物語自体が持つ吸引力、そして私が陥った作品に対する緊急的購買欲、手に入れたのちの、ただ読破にふける専心性……いずれをとっても、そのとき「ガラスの仮面」が与えたテンションを超える作品に、まだ私は出会えていない。
 私は走った。19時の中目黒、当時住んでいたアパートから本屋に、走った。買えるだけ、買った。確か6〜7冊買った。それを読み終えたのが、確か真夜中。それでも、続きが読みたい! この夜の永かったこと……次の日大きな本屋に行って、続きを買ったのを思い出す。ああ白泉社の思うツボ。それから同じように「ガラカメ」(なんでも一部ファンはこう呼ぶんだそうだ)ファンという友達と語った語った……。
 そんな目に遭った作品を、最近また読み出している。さすがに最初ほどの中毒性はないものの、濁流のような勢いで読み手にページをめくらせる迫力、求心力は相変わらずだった。
 年を重ねて、ちょっと見方が変わったのも面白かった。二十歳のときは、ただ主人公・北島マヤを襲う世間や芸能界の悪役が、純粋に憎らしかった。なんて酷いことをするんだろう、とただ嫌悪の気持ちだった。
 けれど今は、「このぐらい直接やってくれたら、楽だよなあ」と思ってしまった。マヤがされているように、あからさまに敵意を見せられ、牙をむいてくれたら、どんなにかいい。敵が誰だかすぐ分かれば、これほど生きやすいこともないのだ。逆に、そのほうが返って「優しい」人達だもの。世間の悪意というのは常に、にこやかな微笑の陰にある。そして、「下手くそ!」「こんなんじゃ使えない」「いい加減にしろ」と駄目を出す、怒るほうが、よっぽど親切なのだから。
 今ようやく「狼少女ジェーン」まで来た。こんなふうに一日中ルームメイトが狼になりきったら、さぞかし迷惑であろう。私なら「出て行ってくれる?」と頼む。
 私は今部屋でひとり、マヤを陥れた「乙部のりえ」のラストシーン、ガックリと膝をつき「完全な敗北……」と呟くポーズを練習している。こむらがえり起こしそう。


○追記
それに、自分でも意外だったのが、マヤと速水真澄のウブな恋愛模様のこと。最初はまったくこの辺にノレなかった。要らない部分ぐらいのことを思っていた。しかしこれが、読み直してみると不思議なほどヤキモキさせられ、今まで見えなかった恋愛漫画としての側面を知った。この作品は、「女優成長物語」と「天才と努力家」、そして「童話的恋愛譚」の三柱で成り立っていたのですね。


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