四川の地震

 12日、中国・四川で大地震が起きた。阪神大震災を超す規模といわれ、死者は13日の段階で1万2千人強。
一番に感じたことは、情報の更新、その勢いの凄さだ。このニュース自体がもつ重さ、ショックの度合いだけでもたいしたものなのに、最新ニュースが、これでもかと飛び込んでくる速度、頻度、そして量に、圧倒されてしまう。
 ひとつの悲惨な事実を、自分の中で消化する前に、さらにむごい画像、写真、新事実が次々と押し寄せてくる。私は、よくこの事態を受け止められていない。正視するだに悲しい映像、リアルな嗚咽や慟哭が、テレビとネットからどんどん流れてくる。正直、「もういいよ」と目をそらしたくなってしまう。
 うーん……ただ「自然の前に人間は無力」、というシンプルな話なのだろうか。


 まず注目したのが、中国の報道規制のこと。それがかえって、デマを呼んでしまった、というニュース。地震後、インターネットに「化学工場が倒壊し、水質汚染が広がった」という書き込みがアップ。それを信じた市民が、大挙してミネラルウォーターを買い求めるパニックが起こったのだとか(その後、政府はこれをデマと断定)。
 関東大震災のあとの、陰惨極まりないデマの流布を思い出してしまう。これが一番、決してひとごとではないと怖ろしかった一件だ。日本でも大災害が起こったら、必ず何らかのデマが生じると思う。


 さらにもうひとつ、いきなり超常現象的な話。四川省・綿竹市では、地震前に数十万のヒキガエルが一斉に移動する姿が目撃されていたという情報も。これは紛れもなく地震のサイン、それを見逃した当局を非難する声が上がっているのだとか。これは、憤懣をどこかに晴らしたい市井のやむを得ない声、とも思える。しかし過去には実際に、こういった現象から市民を非難させて地震の被害を減少化した事実もあるのだそう。そういった研究と実際活用って、日本でもあるものだろうか。
 

 今回の死者多発は、ひとえに建物の耐震規格を無視した結果と見る向きが強い。ニュースによると、全壊した地域は「レンガを積んで泥で固めた」だけの地震強度もヘッタクレもない家屋が集落をなしていたようだし、公共施設でさえ規格にのっとった建物が少ないことも事実のよう。
 じゃあ日本なら……という話でもないと思う。これが都会だったら、そう思うと、私はいつもガラス張りのビルが怖ろしく思えてならない。よほど耐震に自信があるのだろうか。大地震が起こったとき、大きな破片が豪雨のように降り注ぐことはないのだろうか。これが四川でなく北京だったら、潰れずに残った建物の下に、ガラスが突き刺さった死屍累々が山となっていたのではないだろうか。
  なんのオチもつけようがない。チベットのこと、ミャンマーのこと、そしてこの大震災。人がたくさん死んでいる。人権蹂躙や伝染病、そして自然を前にした無力、そして救援を拒否する軍事政権や共産主義の不透明さ……いずれにしても定見を持とう、とするたびにまた凄いことが起こる。そして、死体と怪我人と涙をこれでもかと映したフィルムがテレビで流される。ミャンマーの声もなく涙を流す男の子。大声で泣き叫ぶ中国の母親。そして殺された女子高校生の親にコメントを取るテレビ。何かが違う気がする。


○お知らせ
ブログランキングに登録。 どうか1日1クリック↓を。
http://blog.with2.net/link.php?198815
ご意見などはこちら→hakuoatsushi@yahoo.co.jp