今更ながら、山本モナ

あっぱれ、という言葉が脳裏に

 結局、みんな山本モナが大好きなんだなあ。これが私の実感です。本当の意味で、マスコミ男子はモナが心の底で好きだったんだと思う。
 最初は理解できなかった。テレビや週刊誌の取り上げぶりを見ていて、どーしてここまで執拗に責めるのか、理解できなかった。なぜそこまでモナだけに対して倫理を振りかざすんだ!? なんでモナにはみんな「教育ママ」みたいになっちゃうんだ!? 
 最初は、こんなことを思ってました。この件の発覚直後に書きなぐったのが、以下の文。
<相手が「子供たちに夢を与える野球選手、それも巨人軍の選手だから」ということも、あるんだろう。けれどなあ……はっきりいって、「叩きやすいタマ」で、「話題が他にそれほどないから」としか思えない。「飛んで火にいる夏のモナ」ということに尽きるんじゃないだろうか。>
 ぐらいのこと思ってたんですが……発覚から結構経って、この叩きっぷりって「愛情」の裏返しなんだなあ、とシミジミ思う。なんていうか……ボヤキが聞こえるんですね、特に週刊誌の見出しとかから。例えば週刊現代8/2号「ラブホテル不倫『どっちが悪い』の泥仕合 病的な尻軽ぶりはこんなものではなかった」
 この言葉の裏には「やっぱよう、あーいう女は野球選手とかと遊ぶわけね。いいなあ、俺にも尻軽でいてくんねーかなあ、でも無理だよなー」みたいな有象無象の声が私には聞こえてしまう。
 この醜聞のマスコミ的原動力は、ジェラスだと思う。はっきりいって、みんなモナとやりたいのね。古き昭和の言葉だが、山本モナは「平成のオナペット」だったんだと思う。このバッシングはオナニーできなくなった男の欲求不満がまきこしてるいるのだ。いろいろ記事を読んだ上での私的感覚で話すが、二岡投手へのヤジ的糾弾が多いのは、そういった男たちのボヤキに他ならないと思う。そして週刊文春林真理子もいっていたように、「素敵なあなたたちが一般人のようなデートコース」をしてしまった、嘲笑のネタを与えてしまったということが記事にしやすかった。それに尽きるだろう。
 しかし、モナ。この人、「間の悪い人」で片付けられない何かがある。バカな女、で片付けられない何か。私は簡単に「人徳」だと思う。間が悪いというより、計算がまったくないと瞬時に感じさせるところが、ひとつの彼女の「徳」だ。マリリン・モンロー的な要素だと思う。


○しつこい蛇足
 このニュース、そのバッシングぶりがすごかった。私は真っ先に「えええーーーーーーっ、そんなにテレビ各局力込めて非難するんだったらさあ、どーして横峯良郎とか姫井由美子をもっと糾弾しないんだ!? 野放しにしちゃうんだ!?」っていうことを感じてしまった。いや……こーいうの生真面目な学級委員みたいで嫌だなあ、と思うんだけどね。私は、あのお二方が国政に携わっていると思うだけで……一瞬日本人でいることに虫唾が走るもの。
 極論は承知だけれど、私は芸能人もスポーツ選手も政治かも、本業が(非ッ常に)優れていれば、モラルなどは、どんどん犯していいと思っている。非凡な人達を平凡な人達の感覚で(法的な意味ではなく)裁いてはいけないとすら、私は思う。優れた人間というのは、自分の「欲」を果たしつつも、それに飲み込まれないものだ。
 けれどねえ……横峯氏や姫井氏っていうのは、「うまくやったもん勝ちじゃん、人生」っていう見本としか思えないんですね、私。私が言うことじゃないのは百も承知だが……「子供に見せたくない」と思ってしまう。
 と、ここで両人批難をしても不粋というもの。失礼しました。しかしなあ、別れた相手に暴露だの非難だのされてないだけ、人間的に立派なんじゃないか、モナ。


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