週刊現代「たばこを考える」その2

二日同じ絵ですいません

 目が、怖い。
 ここ最近、よくレストランなどで「ここ分煙じゃないんですか!?」「隣の煙がかなわないので席を替えてください」とスッタ・モンダしているのを耳にする。あのときのクレーム(失礼、嫌煙者にとっては「当然の権利行使」なんですね)をつけている人の「目」を見るのが、私は怖いのだ。
 例えば、私のような中年のオッサンが、子猫や子犬を道端でいじめていたり、子供に暴力を振るっていたとする。それをあなたが見かけたら、どういう目つきをするでしょうか。
 そういう目つきと、私には彼らの目つきが同じに見えてしまう。「これは絶対的『悪』!」と信じて疑わない目だ。信じて疑わない、という「たばこ拒否、そしてクレーム行使」する人の盲目性が、私は怖い。「これは悪いこと。だから糾弾すべきこと」という論理にのっとると、人間ろくなことはない。それまでフツーのレストランで、フツーに喋ってた人が、いきなり「鯨取るな!」と叫ぶグリーンピースの人みたいな目つきになっちゃう。さっきまで同じ人間で、日本人で、隣り合わせた「他生なりとも」の人同士だったのが、一気に別人種、別族の民として線引きされたような、怖さ。


 昨日触れた「週刊現代」の特集で、日本嫌煙学会理事長の作田学氏はこう語っている。
「若ければ若いほど、人は周囲からの影響を受けやすい。未成年の男の子にとっては、ドラマや映画で俳優が喫煙するシーンでは、間違いなく格好よく映ってしまうんです」
 これはドキッとしましたね。その通り。私もたばこを吸いたいな、と思ったのは映画を観てのことだったから。『三つ数えろ』のハンフリー・ボガートを観て、どーにも真似したくなったのだ。あれ……森雅之がすごく指深にたばこを持つのがカッコよくて真似た気も。それはともかく、こう続く。
「そういう意味でわれわれが今、要注意人物としてマークしているのは木村拓哉オダギリジョーの二人。キムタクはドラマ『CHANGE』で喫煙者という設定で(中略)オダギリジョーは映画『転々』などで、幾度となく」
 たばこを吸っていたからなんだそうだが……えっ、えっ、ちょっと待って、マ、マジで言ってるんですかあなた!? おいおいおいおいおい! 冗談じゃない。そんな理由で映画にケチつけちゃいけませんよ。ドラマは確かに公共電波で流されてしまうものだけれど、あなたたちではなく、親が指導する範疇の問題じゃないか。ああ……こういうムーブメントによって、表現者に「圧」がかかってしまうのだけは、嫌だ。いや、あってはならないと思う。映画人に対する、侮辱だと思う。そんな映画の見方すんなよー、戦前の検閲官か!?
 しかし盲目的に「たばこ=悪」と信じる人たちは、芸術とか人間表現よりも以前に、たばこ害の撲滅に心がいってしまうものなんだろうな。別にキムタクを芸術とは思わないけど。とにかく! この人達そう遠くない未来に「青少年のたばこ汚染防止のための有害映画一覧」とかいって、過去の名作映画にまでも規制をかけようなーんて思っちゃうんじゃないか!? 「二十歳になるまで観ちゃいけない映画」とか制定しちゃったりして。半分冗談、半分本気でそう思ってしまう。
 私は、絶対の「悪」も「善」も存在しないと思っている。人間の思う「善悪」というのはすごく曖昧なもので、その多くは多数決によっているものだ。そういう感覚を持つことって必要じゃないか!? これっておかしいのだろうか。ああ、なんだか「?」ばかり。



こちらもよろしく→「私の渡世・食・日記」http://d.hatena.ne.jp/hakuo0416/
○お知らせ
ブログランキングに登録。 どうか1日1クリック↓を。
http://blog.with2.net/link.php?198815
ご意見などはこちら→hakuoatsushi@yahoo.co.jp