小菅優のベートーヴェン、シューベルト、ラヴェル

これは彼女の著書

<7月31日、調布市文化会館たづくり・くすのきホール「ホッと・カフェ・コンサート11」より「小菅優ピアノリサタル」>
 さて昨日の続きです、今日はプログラムの感想メモ。

ベートーヴェン「悲愴ソナタ
 演劇的なベートヴェンであった。第1楽章のドラマティックなパッセージの数々は、巧い俳優が操る言葉のようにエモーショナルで、ストレートに胸に響く。右手と左手、高音と低音がセリフの応酬をしているように聞こえ、数人の俳優による舞台劇かのごとき。独得の不協和音が印象的な曲だが、ダイナミックさを保ちながら実に美しく和音を奏でる。第2楽章は先の彼女独得の音色を存分に堪能。この世すべてを慈しむような、優しい音だった。第3楽章、いささかベートヴェンにしてはブリリアントにすぎるかな、というぐらいにまろやかな演奏。
シューベルト 「3つのピアノ小品 D946」
 超個人的な意見ですが……「終わりそうで終わらない」、これが私のピアノ曲におけるシューベルト・イメージなんですね。いや、すごく好きなんですけれども。これまた私見ですが、シューベルトブラームスというのは家でジックリ聴くのは好きなんですが、リサイタルだと、つらい。つらいことが多い、というイメージもあり。というのは、よほどの腕がないとあの精神世界をライブで表現し、魅せるのは難しいと思うので。しかしこの「小品」と題された結構長い曲の三連続を、彼女は見事に「もたせて」ました。彼女の個性、音楽的志向にシューベルトは非常に合うのではないか、そして本人もそう思っているのでは、そんなことを感じる。
ラヴェルソナチネ
 私がピアノで最も好きな曲が、この2楽章。山の朝のような霊気に満ちた超絶の美。
曲全体の音楽的構築をガッチリと捉えたのち、堅牢にそのイメージと音楽世界を築き上げる――そんな性向を彼女の演奏から感じる。シューベルトでは、それが活きた。けれどラヴェルの場合は、もうちょっと……いい意味での「いきあたりばったりさ」がほしいように思える。けれどこんな骨格のしっかりしたラヴェルというのも、それはそれで聞きものではあったけれど。
ラヴェル「夜のガスパール
 その骨格の強さが、この大曲では面白く作用した。結果から先に言えば、名演だったと思う。もともと詩からイメージされて作られた曲だけに、様々なイリュージョンが飛び出しては消えるような作調なのだ。気まぐれにメランコリックになったり、突如激昂したり、かと思えばこの上なくロマンティックになったり……パンドラの箱を開けたが如く、魔物たちが曲の中で跋扈しているかのような、不思議な曲。それがまあ、どうだろう。その魔物たちが、強い統制の元に劇を繰り広げているかのようだ。しかしそれはつまらなさを意味するのではなく、独得の面白さを生み出している。そして非常にテクニック的にも難しいことで知られる曲だが、私はラザーリ・ベルマン的なヴィルトゥオーゾを感じ、是非彼女のラフマニノフ3番を聴きたくなった。
 などと偉そうに書き綴ってしまいました、お詳しい方からしたら噴飯ものでしょう、失礼しました。あ、そうそう、アンコールにラフマニノフ「楽興の時」の確か1番、そしてショパンの「革命」でフィナーレでした。ラストにこういう有名曲を持ってきたところにサービス精神を感じ、ますます好きになった次第、出来も見事のひとこと。ドラマティックでダイナミックで……久しぶりに心からの「BRAVO!」を発せたリサイタルだった、大満足!


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友達・ニシムラさんたちと渋谷のアウトバックで夜ごはん。よく食べ飲む人たちとの会食はとっても楽しい。


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