森田一義の弔辞

危なさの「小出し」が最大の芸

 「私も、あなたの数多くの作品のひとつです
 タモリこと森田一義が、赤塚不二夫への弔辞の結びに用いた言葉だ。このインプレッシヴなフレーズは各誌・各局のヘッドラインに多く用いられ、何度も反芻された。
 この言葉を聞いたとき、私は不思議な気分になった。何かこう……尊いものを見上げるような、澄んだ大空を見上げるような、そんな気持ち。
 人間誰しも「生かされている」、そう感じることがあるんじゃないだろうか。「いや、私の人生は誰の力でもなく、自分の力だけで生きてきた」「道は自分で切り開いてきた」――そう信じる人も、あるだろう。けれど、どーにも説明のつかない偶然、その後を左右するような邂逅……オーバーな表現でいうなら、見えざる手、天の配剤といったものは、あるんじゃないかと思う。
 そういった「何か」を、タモリという芸能界の大看板にしてベテランが、大切に思って生きている、ありがたいことだと感じている。そういう気持ちが、あの言葉に溢れていた。自分が今いる「流れ」に、押し出してくれた赤塚不二夫、そしてそれ以上の何か「おおきなもの」に対する、畏敬のような気持ちが、あの言葉には詰まっていたと思う。
 こんなくだりも、心に残った。今まで散々お世話になっておきながら、一度もお礼を言わなかった。それは「肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかった」――なんだか、心が玉葱のごとくワシャワシャと剥かれるような気持ちになった。とてもありがたいと思っていても、言葉にしてしまえば全てが嘘くさくなってしまうような、万分の一も謝意が伝わらないような、それどころかマイナスになっちゃうような、あの気持ち。本当に大切な、大好きな人に対してのみ生まれる、あの独得の感情がフーっと蘇って、一瞬たまらなかった。


○記録
 赤塚さんの葬儀は中野坂上宝仙寺にて。暑い日だった。私は打ち合わせで御茶ノ水へ。駅を降りるたびにいつも『男はつらいよ』で渥美清がつぶやく「チャラチャラ流れる御茶ノ水……」という文句が脳裏に。ベッチョリ濡れた服で編集さんにお目にかかるのは嫌なので、汗をかかないようにゆーっくり歩く。早く歩くと、止まったときに汗が吹き出るのだ。ものすごく不機嫌そうな、育ちの悪そうな目つきの悪い男がちょっと向こうにいる、怖い。ビルのガラスに映った私だった。意味もなくニコッとしてみる。暑い。


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○お知らせ
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