『篤姫』定点観測・その8

「消しゃ」とかいってほしい

■第35回「疑惑の懐剣」
 滝山、もはや妖狐このごとく。稲森いずみ演じる大奥御年寄、滝山。回を経るごとに、この世のものでないような存在感も増してくる、すごいですよ! 今回は月の光の下、篤姫と語らうシーンが秀逸だった。ちょっとしたトラブルがひと段落、「どうじゃ、一献やろうではないか」と誘われる滝山様。
「たまには……羽目を外しますか」と破顔一笑
 このときの何ッともあでやかなこと! 白く透き通るようで、まさにこれこそ「玲瓏」という風情。それが一転、公家方の庭田嗣子を一瞥するときなど蛇蝎のごとき表情を見せる。くぅーーーーーーーっ、たまらん!
 今回は滝山、見せ所が多かった……至福でありました。先の月の光のシーンでは、「この滝山……篤姫様のおそばで、大奥に骨をうずめとう存じます」と深々と一礼。もう思わず拍手してしまいました! 「よっ、滝山!」「稲森屋!」と大向こう掛けたくなったぐらい。どうでもいいけど大衆演劇なんかの大向こうで「たっぷり!」ってのがあるんですね。あれ好きだなあ。まさに滝山は、たーっぷり演技してくれる。演技が走らない。そこに大きさと、格が生まれている。時代劇らしい鷹揚で濃密な芝居、堪能してます。以下キャスト雑感メモ。


 将軍役・松田翔太、凛とした雰囲気は変わらずいいのだけれど、姫(堀北真希)を抱く「姿」が悪い。これは古典芸能でいう「絵面」の問題で、きっちり日本舞踊・西川流の所作指導がついているのだから、直すべきだ。それがひいては役者勉強にも繋がるというのに。
 以前とある骨董商が、「並べたら誰だっていい悪いは分かります。だからこの商売、お見せするときはひとつずつしか出さないんですよ」と語っていた。そういう恐ろしさが大河ドラマにはある。名だたる俳優が叙事的に登場するので、演技のサンプル一覧みたいになるときがある。するとおのずと「この人ヘタだなあ」と浮き彫りになってしまう。島津の殿様、ご自身が主役の舞台演技そのままを持ち込まれたような芝居。浮くこと甚だしい。
 それと中嶋朋子篤姫付きの御年寄だが実に手堅く、渋い演技。セリフがなくとも、表情演技が素晴らしい。姫を思いやる情感が強く出ていつつ、うるさくない。このうるさくないのが肝要。そこが出来ない俳優の何と多いことか。
 

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