「総理大臣」ということば

福田康夫

 なんだかなあ。ありきたりですが、そんな言葉がまわるのみ。福田康夫、突然の辞任会見。ずっとニュースを見ていても、ふうん……へえぇ……そーなんだ……特にドラマティックな感慨も気持ちも湧き起こらない。
 ただ、ポッと湧き起こった感情がある。それは、「総理大臣」っていうものが、随分さがっちゃったなあ、ということだ。私が今「総理大臣」ときいて、心に浮かぶモヤモヤした印象と似たものはなんだろう……そう考えたら、「掃除当番」が浮かんできた。掃除当番の放課後に感じた、あの気持ちに似ていなくもない
 子供の頃、将来何になりたいかという質問を受けると、「総理大臣!」と答える子がクラスにひとりか、ふたりは必ずいた。この場合、「総理大臣」というワードは、具体的なものではなかった。えらくなる、それも、とってもえらくなるんだ、という大志の表現だった。才気溢れる子供は、末は博士か大臣か、なんてよくいわれていた時代。
 そういう時代に育てて、よかったと思う。けれど別に『三丁目の夕日』的気分じゃない。
 私はそういう、「総理大臣になる!」とか平気でいえちゃう同級生が、嫌いだった。そして、そういう子を包む「大きい夢を持つことはいいことですよー」みたいな雰囲気も、嫌いだった。そんなの大風呂敷じゃん、なーんてひとり考えてる、イヤなガキだった。でも、そんな同級生がいるクラスで、良かった。なぜなら、きっちりヒネて曲がって成長できた。ような気がする。健全な雰囲気が多数でないと、ヒネたガキもしっかり育てない。
 福田首相、もうちょっと虚勢を張ってほしかったな。スタイリストだと思っていたのに。別に立派でなくていいから、突っ込まれるスキなんて出さないで頂きたい。「子供」の前では、「大人」は虚勢でも胸を張るべきだと思うのだ。シモジモは、上も大変だなあと忖度し、ある種の敬意を抱く。これが、正しい形だと思う。「俺だって大変なんだよ!」という開き直りが一般化しちゃうと、つまらないなあ。
 

 はい、以上が辞任直後に思ったことをガーッと書いた文章です。今書いてるのは6日。クールダウンして思うと、「福田康夫、そんなにハラワタ煮えくり返ったたんだなー」ということだけですね。なんだか懐かしの「実家に帰らせていただきますッ!」というブチキレ母さんみたいな辞め方だ。
 世の中としては「無責任!」という(実際そのとおりなんだけど)一本調子で、報道は総裁選のさきゆき一色。
 安倍さんのときにも書きましたが……表情にホンネが出ない人になってほしいと思うのみ。すぐに顔に内心出ちゃうような人にだけは、重責を担ってほしくないなあ。小池百合子の顔色の分かりやすさに私は今、落胆している。イチイチ狼狽・焦燥を顔に出さないでほしい。政治家って、もっとしたたかであってほしいなあ。


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