『篤姫』定点観測 その9
とうとう今日の「サザエさん」で「キャビンアテンダント」というセリフが出てきました。あの絵柄はママでネームがちょっとずつ近代化。耳が不思議に止まります。そう、今日は日曜、「篤姫」の日です!
などと力みつつ、ここのところ……お恥ずかしながら熱が冷めておりました。前々回は文久の寺田屋騒動、前回は島津久光と幕府のやり取りが主だったもんで……ああ、つまらんかった!
期末テスト前、ただ日本史年表を暗記してたときのよーな気分。「こーんなことがありました」的説明シーンの羅列、大河ドラマの悪癖じゃないかなあ。「しょうがないよ、大河だもの」じゃなくてさあ。いかにそんなふうに描かず(省かず、ではない)、主役を軸とした時代の魅せ方が出来るか。そこが腕のみせどころっちゅうもんでしょう。もっと実験的なこと、やれそうなのに。
などと生意気に文句付けつつ、前回の「友情と決別」には一瞬泣かされました。小松帯刀と天璋院の久々の対面シーン、情が濃厚で無駄なセリフがなくて、素晴らしい出来だった!
ちょっと久しぶりに、今日の第38回「姑の心 嫁の心」キャスト雑感を。
■第38回「姑の心 嫁の心」
いきなり、重箱つつきな小意地の悪いことを。小松帯刀の嫁、お近を演じるともさかりえ。ひとり香を聞くシーンなんですけどね、「構え」がよろしくない。あれでは「かまど炊きの女」が初めて香に触れたようであり、おおよそ位の高い武士の奥方「らしく」ない。お近は本作中、夫に士道を正すような女として描かれていた。ならば本人も奥としての格にこだわったはずと思う。
その夫を演じる瑛太、うーん……すごいな。「芝居をしない芝居」まで感じさせてきた。仲間の不和、上つ方への気配り、そして「時代」がもたらす惑い――そういったものが帯刀になす労苦が自然、目元ににじんでいる。
その帯刀の父に榎木孝明。えええええ、こんな器用な演技をするひとだっただろうか……驚く。酔って調子に乗り、フラフラと倒れてしまうような喜劇的演技を、やり過ぎずこなしていた。
坂本竜馬に玉木宏。大きく、美しい目だ。ゆえに、滅多に見開いてはならない。あんなに終始ギョロッと剥いたまんまでは、パッと見開いたときの効果が死んでしまう。目玉の松っちゃんじゃないんだから。素直で一生懸命、「全力投球」なのは分かるが、全部を「全力」で投球されると受ける側は疲れる。そして「全力」のインパクトもドンドン薄れる。
しかし、この演技の受け手であった北大路欣也(勝海舟)とのバランスが、面白い効果を生み出していた。北大路の軽く流す演技、そして「ここぞ」と締める演技のバランス、その緩急自在ぶりと坂本の直球ぶりの対比が、勝を師と仰ぐ坂本という図に合っていた。芝居とは面白いものだ。
そうそう、家茂亡き後ずっと思っていたが、天璋院(宮崎あおい)について。「お被布」というのだろうか、組紐のついた上着が非常に「さま」になってきた。時代物において「衣装が似合う」ということを、「のる」という。これは役が手に入っている証拠だ。
こーいうのです。もし名前間違っていたらどうぞ教えてください。よろしくお願い致します。hakuoatsushi@yahoo.co.jp
久しぶりに書いたら、随分長くなりました。やっぱ好きなのか……。
○註
文中で使っております「重箱つつき」という日本語はワザと使っている言葉で、正しい日本語ではありません。真に受ける人がいると嫌なので、念のため。
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