『白い馬』『赤い風船』
なんて美しいものを観てきたんだろう!
もう公開からだいぶ経ってしまったけれど……ああ、やっっっぱりスクリーンで観て、よかった。シネスイッチ銀座で公開中のフランス映画『白い馬』&『赤い風船』に……直球な言い方だけれど、感動した。うん、ガーンと来た。そう、ガーン! なんていうか……「あさま山荘事件」のときに使われてたデカい鉄球クレーン、あれで凝り固まったココロガーンと砕かれたみたいな気分。くぐもっていた目が、洗い流されたよう!
監督の名はアルベール・ラモニス、1922年のパリ生まれ。
「ん? 今生きてたら86歳じゃん!」
と思った方、ご明察。これらはリバイバルで、『白い馬』は1953年の作品で、『赤い風船』は1956年の作品です。長らく権利上の関係で再上映できなかったのがクリアになり、今度の公開に至ったらしい。ちなみに『白い馬』は53年のカンヌ映画祭の短編部門グランプリ、『赤い風船』は56年の短編部門パルム・ドール賞を受賞した作品だ。
(グランプリもパルム・ドールも同じ最高位と基本考えてよい。パルム・ドールという最高位の名称が出来たのが55年からなので、この場合53年と56年で呼び方が変わっているよう。ややこしいな)
各40分ぐらいのショートが連続で上映される。『白い馬』はモノクロ、『赤い風船』はカラー。どちらも極力セリフを排しており、映画というよりは映像詩という感じ。
いや、映像詩なんていうと何だか「ゲージュツ」っぽくて「お高級」な感じがして、スッゴクつまんなそうに思えちゃうかもしれない。そんなことは、まーーーーーーーったくありません!
ストーリーはシンプルそのもの。少年と白い馬、少年と赤い風船が織り成す幻想譚としかいいようがない。
この2作はいとも簡単に、私を「こども」に引き戻した。というより、「大人」と自分で自分を思うために体に巻きつけている「色々なもの」を、サッと解きほぐしてしまった。
『赤い風船』――子供が町中で大きな風船をみつける。大事に、大事に持って帰ったのに、家の人に窓から捨てられてしまう。さぞかしガッカリしただろう。すると、大空に飛んでいった風船が、スーーーッと窓辺に戻ってくる! 子供は驚きもせずにいう。
「見つからないように、おとなしく、しているんだぞ」
この瞬間に感じた、あの不思議な幸福感はなんだったんだろう。あまりにも「映画的」な一瞬だった。そのときから私は何故か、いろいろなことが心に浮かんでしょうがなかった。
小さい頃の、時間の過ぎ方(おとなのそれとは、まったく違う!)。
子供の頃、絵本を読み始める前に感じたあの気持ち。
「一角獣」「魔法の笛」「かかとを三回鳴らすと……」そんな言葉を読んだときの気持ち。
テレビのアニメを食い入るように見ていたときの集中力。
今まったくほしいと思わないものが、ひどくほしかった、気になった、あの気持ち……。
安いノスタルジーに酔ったのではない。ただ圧倒的に美しいものがそこにあった。子供の頃に確かに感じた「種類」の美と、この世のものでないものに思いを馳せた頃の記憶と、そういうものに思いを馳せられた「こころ」が、スーーッとよみがえった。
この2作に、「どうだ美しいだろう、幻想的だろう」などといった「いやらしい」気持ちは微塵もない。子供を主人公にしながら、「子供はみな天使」みたいな現実逃避的な盲目性も皆無だ。こんなに幸福感に包まれて映画館をあとにしたのは久しぶり。
と、絶賛ですが……10日までです(シネスイッチ銀座の場合)。なんという間抜けなタイミングだろうか。しかし、ぜひスクリーンで、暗いあの小屋の中で観てほしい。映画ではなく(ここ重要ね)、小さい頃に『カスピアン王子のつのぶえ』とかが好きだった人は是非。
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