改稿・「だんだん」に悩む毎朝

和やかそうな雰囲気

「どげんかせんといかん!」
 なぜか今頃、心の中で毎朝のように東国原が私につぶやきます。
「女の子の見かけのこというなんて最低!」
 これは実際、小学校4年生のときに同級生の菅原典子ちゃんが私にいった言葉です。
 毎朝、この2つのセリフが交互に脳内リフレインして私を悩ますのです……ああ、たすけて!
 NHKの『だんだん』……ご覧になってますか。ハッキリ書きましょう。私は、あの舞妓が「ニカーッ!」と極上の笑みをこぼすたび、軽く自分のことが嫌いになってしまう。戸惑ってしまう。なんの前情報もなく「迫文代さんですよ」といわれたら、一瞬信じてしまうかもしれない。いや、今の「和泉雅子」でも信じてしまうかも。そしたまに「江利チエミ」にも見える。ああ……つらい。あんな性格の良さそうな、ひたむきな演技をしている人をあげつらう様な事を……けれど、悪いがあそこまで舞妓の恰好が似合わない人が「連続テレビ小説」に出ているという事実は、すごい。NHK上層部はどう思っているのか。


 もともとの器量も、そりゃあるだろう。しかし、あれは周囲が悪いと思う。
 まず第一に、舞妓はあんなに歯を見せて笑わないものだ。それが「たしなみ」だ。笑うなら、うつむいて、袖なり扇子で口を隠せばよい。そういうことって、徹底的に半玉(半人前)のときにしごかれるもんじゃないだろうか。美意識のない人は分からないだろうが、洋服のときの動き、こなしを着物、それもあんな仰々しい拵えですると、ものすごく醜くなる。そういったことを先輩や女将連中が注意しないのは、不自然だ。
 器量というものは、仕草と身のこなしが半分以上を占める不確定な要素だ。特に舞妓はそういうものだろう。夢花の器量のまずさは、まずここに原因がある。


 第二に、「顔のこしらえ」が悪い。簡単にいえば化粧のことだが、口紅のつけ方がこれまた洋風。あんなに紅を唇いっぱいに引くから、口裂け女みたいになってしまい、笑ったときに「ガリバートンネル」みたいになってしまうのだ。もっと古典的な「おちょぼ」にするべきだと思う。
 と、もっともらしいこと書いたところで、男が女の風貌にあれこれいうのは野暮の骨頂。でも、書かずにはおれなかった。ドラマにノレないほど、あのスマイルはインパクトが強い。カンベンしてくれ。


○島根付記
以前、縁あってよく松江に仕事でいってましたが、あの「だんだん」っていう言葉はいいもんですね。ありがとう、という意味だが、なんとも和む語感だ。天草市の湯島という島でも、同じ言い方をするそうです。こういう不思議が日本にはよくあるなあ。


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