書きそびれる毎日―おくやみ、三人の方へ―

安らかに

 目まぐるしい。いろんなことを書きそびれている。一挙にメモがてら、書き残しておきたい。

○逝く人々
 まず、ポール・ニューマン。私ごときが何を書いても、なんだか失礼な気がしていた。そうこうするうち、一ヶ月以上。偉大なひと、という印象。俳優としての表現力の幅の広さ――善人からアウトロー、そのレンジの豊かさが驚異的。堅物から女ったらし(ホモセクシャルまで!)、田舎者から都会人、そして実際見ていないので書く資格もないが、演劇人としての名声はいうまでもなく。心に尊き善性を宿すがゆえに傷つかざるを得ない、その結果の屈折者――というのが一番ハマる人だったと思う。
 すごく「いいひと」っぽいのに、つまらなくならない。ものすごく巧緻な演技者なのに、計算だけじゃない何か。そして社会的活動、料理への情熱、レーサーとしての腕前などなど、幅広い人だった。それが「マルチタレント」などというつまらない存在にならず、それぞれがスター性の1ページとして彩られるのだから、大きい。大きい男だ。『熱いトタン屋根の猫』『タワーリング・インフェルノ』『評決』が個人的に忘れられない。合掌。

これもいささか前の話ですが、やはり書いておきたい。12月公開の『ぼくのおばあちゃん』という作品、(菅井きんさんが「最高齢映画主演女優」ということでギネス認定された映画)脇役のキャスティングが非常に豪華な一作なんですが……ひと際いい演技を見せていたのが、深浦加奈子さん。さりげなく、それでいて存在感と役柄がにじみ出る芝居で、引き付けられた。これが遺作だという。死の影などまったく感じさせない、晴れ晴れとした笑顔だった。どうぞ安らかに。


 そして筑紫哲也さん。がんの罹患を彼のような方が告白されるというのは、同病の方にとってはいかに心強いことだろう。今年の6月以降ペインクリニックに入院されていたようだが、そのあたりのことをもっと伝えてほしい。終末期の疼痛医療、(と書くとコムズカしいが、全身転移した患者さんの、痛みを最大限に緩和する医療のことだ)ここが、日本はヒジョーに意識が低い。レベルの低いところが多い。そのことを勉強している医者も少ない。ペインクリニック=もうお手上げ、ということで周囲もこのことについて口に出すのも憚れるというか、どこがいいペインクリニックか、どこに入れるべきかをあまり考えない、考えられないのだ。
 しかし、余命三ヶ月といった状況のときに、鎮痛の上手・下手な医師にかかれるかどうか、これってすっごく大事なことじゃないか。私はとある仕事で、このへんのことを長らく専門家と共に勉強したので、声を大にしていいたい。がんの痛みというものは、現在の医療(を熟知する専門医の下)ではほぼコントロールできる。それを、知ってほしい。
 と、話が逸れまっくているついでに書くが……「日本のロック・ハドソン」はいつ出るのだろう。HIV罹患を告白し、予防と、正しい病気との付き合い方を訴える有名人が出たら、どれほど多くの人が考えさせられ、そして勇気付けられるだろう。
 と、逸脱しすぎた。筑紫さん……今思い出したが、いつだかの総選挙のときに「NEWS23」の特番の街頭インタビューに引っ掛かったことがあった。思い出したくもないが、酔っ払っていた。これがまた酔ってる様に見えないんだ私。小泉新政権について結構長く喋って長く映ったんだった……。笑って聞いてくださってました筑紫さん……ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
 メモがてらなんていっておいて、ちっともそうならなかった。メモなんかですませられない、素敵な人達だった。

 
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○記録
映画「明日に向って撃て!」「スティング」などで知られる米国の名俳優ポール・ニューマンさんが26日、米東部コネティカット州ウェストポート近くの自宅で死去した。83歳。オハイオ州クリーブランド出身。07年5月に引退宣言し、今年6月にはがんで闘病中と伝えられた。実業家、カーレーサーとしても活躍。日産自動車のCMに出演するなど、日本でもっとも愛されたハリウッドスターの1人だった。

 白い短髪のクールな風ぼうに品のある演技で、日本でも団塊の世代を中心に高い人気を誇った名優が天国に旅立った。最期は妻で女優のジョアン・ウッドワード(78)、5人の娘、2人の孫らがみとった。
 最後の映画は、声優として出演した06年の米アニメ「カーズ」。07年5月にはテレビ番組のインタビューで「もう満足できるレベルの俳優でいられなくなった」と俳優引退を表明。今年6月には、友人が「がんで闘病中」と明かし、英紙が「ニューヨーク市内の病院で治療中」と報道。親族の1人は「深刻な状況」としながらも、ニューマンさん側は「健康状態は良好」とする声明を出していた。
 俳優のキャリアは舞台からスタート。ジェームズ・ディーンマーロン・ブランドと一緒に俳優養成所「アクターズスタジオ」に通ったが、一時は2人の陰で伸び悩んだ。56年にボクシングの世界王者の半生を描いた「傷だらけの栄光」の迫真の演技が認められ一躍スターに。
 米アカデミー賞には、長く選から漏れた。生涯無冠と思われたが、85年に名誉賞を受賞、翌年公開の「ハスラー2」で念願の主演男優賞を受賞。授賞式ではスタンディングオベーションで迎えられた。
 82年には、サラダドレッシングなどを製造する食品会社を起こし、実業家としても成功。息子を酒と薬物で失ったため社会奉仕活動に熱心で、同社の利益から2億ドル(約210億円)を慈善団体に寄付した。カーレーサーとしては、95年のデイトナ24時間耐久レースのGTSクラスで優勝。70歳の史上最年長記録を達成した。81〜85年にCM出演した日産自動車の6代目R30型スカイラインは「ニューマンモデル」と呼ばれている。

 ◆ ポール・ニューマン 1925年1月26日、米オハイオ州生まれ。54年「銀の盃」で映画デビュー。「傷だらけの栄光」(56年)で実在のプロボクサーを演じて成功を収める。初監督作品「レーチェル・レーチェル」(68年)でアカデミー賞の作品賞にノミネート。新感覚の西部劇「明日に向って撃て!」(69年)、詐欺師の物語「スティング」(73年)でロバート・レッドフォードと共演し、世界的ヒットに。
スポーツニッポン 9月28日