『だんだん』日記―桃井と千栄子を投入せよ―

「だんだん」means「ありがとう」

「桃井出せーッ! 千栄子呼んで来いっーーーーー!」
 ああ……毎朝そんな「いきり」を覚える日々です、ご覧になってますか朝の連続テレビ小説『だんだん』。マナカナこと三倉茉奈・佳奈演じる双子の娘が主演のアレです。簡単に今の状況をご紹介。


1:双子A・Bは小さい頃生き別れて、それぞれ京都と松江に暮らす。
2:京都のAは祇園の舞妓、松江のBはシジミ漁師の娘。
(Aの母とBの父が元・夫婦。石田ひかり吉田栄作という元・トレンディ族)
3:ひょんなことでABは出会い、仲良しに。
4:自由に生きる現代っ子のBを見て、舞妓は「ウチも自由に生きるんどす!」と出奔。
 それでまあ、今は松江のおとっつあんのところに来てるんですね。舞妓はん。


 ああ……私はこの手の「周囲にどう思われようと自分の意思を貫き通すヒロイン」ってのがどーーーーーーーにも苦手なんですね、なんてハタ迷惑な、と思いっきり引いてしまう。うん、唾棄しているといっても過言ではない。
 そう……この手の話で一番嫌いなのが『ロミオとジュリエット』。名作だなんてこれっぽっちも思わない。あれはシェークスピアが「人間ってのは一体どこまで激しい思い込みを出来るイキモノか」という考察として書いた話だと思っている。
 しかし、ここで思い出されるのが『風と共に去りぬ』という作品。全編これ「ヒジョーに自己中心的な女の一代記」なんですね、ワガママ放題のヒロイン。けれど、あれは観られる。うーん……「ヴィヴィアン・リー」ぐらいの人じゃないと、この手の話って活きないんだよなあ。

「わたしはこう生きるわ!」
 ああそうでしょうとも、あなたはナミの生き方におさまれるようなお方じゃございません……と、観る者を納得させる「何か」――たとえば圧倒的な美貌やディグニティ、気高さ、才気……「何か」に当てはまるものは様々だけれど、その辺のところを満たしといてくれないと、つらいんだよなあ。
「自分の本当にやりたいことを見つけるんどす!」
 そういって都おどり直前だというのに、「襟替え」もすぐに迫っているというのに、出て行くと宣言する夢花(舞妓の名前ね)。

「じょっ……冗談じゃないよ! 今までお前にいくらかかってると思ってるんだいッ!」
 世紀の珍作『SAYURI』で置屋の女将を演じた桃井かおりさんなら、こう叫ぶと共に折れた竹刀みたいなので夢花を即刻シバキ倒したことでしょう。
「何をゆうとんのどす! 目ェ開けたまま寝言ゆう人がおまっか!」
 名作『女系家族』で邪魔な妾の羽織を速攻で破きとった浪花千栄子さんが女将だったら、だらりの帯を締め咲きながら折檻したことでしょう。
 このドラマ、以前にも書いたとおり「古典的・正統派少女漫画」「なつかしの大映ドラマ」チックな設定と展開が好きだったんですね。それでついつい見続けてしまっているのだけれど、ドーにもヒールが弱い。というか悪者がいない。ああ……千栄子や桃井は冗談としても、主人公に降りかかる苦難が「出生のややこしさ」だけじゃ「もたん」だろう。園佳也子とか投入してくれないかあ。

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