「トコトン・トコトン」

やすらかに

 遠藤実先生、死去。いや、悼んでます。でも、どうして私は遠藤実に「先生」をつけてしまうんだろう。船村徹も勿論「船村徹先生」だし、猪俣公章も当然「猪俣公章先生」だ。古賀政男にいたっては「大先生」とまでいってしまうかもしれない。嘘だけど。
 私は千昌夫でも鳥羽一郎でもマルシアでもないのに、なぜこのあたりの人を「先生」と呼んでしまうのか。答えは簡単、
「いつも<名前+先生>で聞くことが圧倒的に多かったから」
 これだ。かつて私はこのブログで「ニッポン先生考」ってなタイトルで「先生と呼ばれる人達」を考えてみたが(興味のある方はこちら)、なんとなく「必ず先生で呼ばれる人」ってのはいるもんです。そういう人々って、芸能界がレジェンドたりえた時代ならではの存在なんだけどね。


 話が逸れすぎる。遠藤実……代表曲と呼ばれるものをザッと見るにつけ思う。全部同世代に生きて聴いたことはないのに、なんとなく知っている。そこが、凄い。
「からたち日記」「北国の春」「星影のワルツ」「困っちゃうナ」「高校三年生」「おひまなら来てね」(これ、タイトルだと「来てよね」じゃないんですね)そして「せんせい」。
 どれも、実際には知らない。けれど、どっかで聞いたことがある。さらに、一度か二度ぐらいしか聞いてないはずなのに、けっこう覚えている。
 しかも結構、難しい歌ばかりですね。「からたち日記」とか実際口ずさんでみると非常に技巧的な曲だなあ。フレージングが細かくて、いきなりポーンと高くなる箇所が多い。「おひまなら来てね」なんてのもそうですね(五月みどりって歌手としてもっと再評価されるべき存在だと思う。お千代さんの場合、あういう歌唱が返って可愛らしさを誘うというのもあるだろう)。そうかと思うと「星影のワルツ」など、とても大間でゆったりしていて歌唱技術が相当ないと辛い歌だ。プロの歌手が厳然とメインストリームにいた時代の楽曲だなあ、と再認識。
 難しいフレージングの連続からフッと訪れる易しい、そして印象的なメロディ。
「♪せんせい、せんせい」
「♪からたち・からたち」
「♪ハァ〜トコトン・トコトン〜」(「一週間に十日来い」、これ好きなんだわ)
 こーいう「歌のアメ・ムチ」みたいな塩梅具合が遠藤音楽の醍醐味のひとつだったんでしょうか。と、よく知りもしないくせに失礼しました。そうそう、牧村三枝子の「みちづれ」は母・フジエの数少ないカラオケ愛唱歌だった……遠藤先生、フジエにレパートリーをありがとうございました。ご冥福をお祈りします。


○蛇足
ああ……こんな時期に不謹慎極まりないのは承知の上ですが……「世界のナベアツ」をはじめてみたとき、「あ、遠藤実さんみたいな髪型」と瞬間思ってしまいました。合掌。


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