ラン・ラン ピアノリサイタル

ラン・ラン

 本当は東京公演、24、25日の夜のみだったんですが急遽、24日の昼夜公演に。25日、中国にどーしても戻らなければいけない事情が勃発したんだそう。緊急呼び戻しらしい。中国……すごい国だなあ。
 24日の昼に鑑賞してきました。今日はその印象メモをザッと列記。


シューベルト ピアノソナタ20番 イ長調
 こういう曲をどう料理するのか、興味津々だったのだけれど……いやはや、抑制の効いた美しいシューベルトだった。ラン・ランは良くも悪くも「どうだ!」という「山っ気」というか「才能の洪水」のようなイメージ(まあ先入観です)があったのだけれど、いい意味で計算され、鍛錬された音楽だった。シンプルなフレーズを何と美しく歌わせることだろう。特にピアニッシモの消え方の綺麗なこと。雨だれが小さな波紋をつくって消えていくかのよう。そしてこのピアニストは非常にサイレンスを効果的に使う。「無音を歌う」ことのできる人は少ない。休符も音楽であることを久しぶりに思い出した。白眉は第三楽章、水に戯れるかのように快い。ただ第4楽章がいささか冗長。


 ここで中入り、じゃない休憩。假屋崎省吾氏の姿がロビーに。この方、自身もピアノをよくされ、最近のクラシックピアノのリサイタル・チラシではコメントを寄せられることが多いよう。


バルトーク ピアノソナタ Sz.80

 ラン・ランの世界。彼らしい「身振り・手振り」が炸裂。気性の荒い駿馬を乗りこなす「うえさま」という感じ。スタインウェイを手綱引き引きグイグイ手なづけていくかのよう。
 この方の美質のひとつは、フォルテッシシモが決して割れないことだ。あれほどパワフルで音量豊かなのに、耳に不快な音がうまれない。すごいことだ。フィナーレ、彼が手を話した瞬間に「キャーーッ!」という歓声が。この作品をラストに持ってくるべきだったかも。


ドビュッシー前奏曲

 第1巻
(曲順)
亜麻色の髪の乙女
アナカプリの丘
沈める寺
ミンストレル

第2巻より
月の光がふりそそぐテラス
ヒースの茂る荒地
花火


 ここまでラン・ランのドビュッシーがいいとは思わなかった。驚いた!
 バルトークからガラッと音色が変わる。当然のことなのだけれど、「これは同じピアノ!?」とハッとさせてくれ、素敵な驚きを与えてくれる音楽家は中々いない。これぞ、プロフェッショナルの音楽を聴く醍醐味のひとつだと思う。
ミンストレル」など、いくつかテンポ・ルバートが執拗に過ぎる感があったものの(まあドビュッシーって、誰が弾いてもそう思ってしまうものなのかもしれない)、点描の色彩が無限にかさなっていくがごとき和音の膨らみ、ドビュッシーの世界を胸いっぱいに吸い込んだ。いー気持ちだった。


ショパン 英雄ポロネーズ

 意外というかなんというか、これが私は一番不満だった。「今まで抑制してたんだ、やっぱり」と思ってしまったほど……うーん、悪い表現ですが「タガが外れた」演奏に聞こえてしまう。
 出だしは面白かった。「嘘ォ」といわれるでしょうが……中国的な情景が浮かんだんです。ホントだってば。なんちゅうかですね……昔読んだ「三国志」、周瑜って(うろ覚えですが)足の太いしっかりした白馬に乗っていたような。逞しい馬の脚が、馬蹄が音を鳴らして大地をゆくような、そんな絵が心に浮かんで驚く。こんな風に「英雄」のイントロを感じたのは初めて。しかし第1主題に入ったあたりから「?」の連続。さほど難しくないフレーズを、ぞんざいに「弾きちらかす」ような印象。なんでこんなミスを、というような集中力のない感じ。そんな不満をねじ伏せるかのように「ウルトラC級」のテクニックが難所では炸裂。しかしそのアンバランスが、音楽的エクスタシーを生み出さない。フィナーレに近づくと、まるで閃光が走るかのようなハイスピード+超絶技巧。「うひゃあ」と思わず口走ってしまった。100キロオーバーで走るニトログリセリンを積んだトラックの助手席にいたような気分。


 アンコールはショパン「別れの曲」、「あ、これ一曲しかやりませんよ」ということかと思えば、中国の「春舞」を披露して終了。


○追記

久しぶりにサントリーホールへ。
ここ、目の前が「カラヤン広場」という名前なんですね。そのネーミングになーんの疑問も抱かず生きてきましたが、ホールの設計の際にカラヤンがアドバイスを与えたから、というのがその理由なんだそう。へぇー知らなかった……折しもカラヤン没後20年。


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