浅草歌舞伎 勘太郎の『土蜘』

新春浅草歌舞伎

 1月の感想を今書くのも随分マヌケですが……新春浅草歌舞伎、中村勘太郎の「土蜘」がよかったんだなあ。すこし書きとめておきたい。
 もちろん、細かいこと申さば色々ある。後ジテになる前、花道の引っ込みにはもっともっと妖気と緊迫感がほしいし、総じて前半が冗長に思えてしまう(まあ、どなたがやってもこの演目はそうなりがちだけれど)。
 でもねえ、いーーーーーーーーーーんですよ蜘蛛の精が。大きくて、やり過ぎず、気の抜いたところのない立派な芝居。フトした見えに彼の母方のおじいさんである中村芝翫がスッと重なる。不思議だ。こういう役、芝翫の本役ではまったくないのだけれど。そういうところが、歌舞伎は面白い。


 若さと芸が、非常にいいバランスで彼の中に宿っている。
「演じたい、踊りたい!」という挑戦心、そして「俺は出来る!」という自信。そこに、「いけないいけない、慢心してはいけない」という律する心。このバランスが、役者のいのちだ。そこにテクニック、経験、年齢が華を添える。
 その程よいバランスが舞台に咲いている。歌舞伎、それもこういう「○○実ハ××の精」といった変化物は「鷹揚さ」がキモだと思う。
 バカバカしいのである。すんごいメイクとかつらで舞台にやってきて、「あっかんべえ」して毛を振ってグルグルまわるのである。すごく乱暴だが、後ジテの内容なんてこんなもんでしょう。これで「見世物」にしなくてはならない。
 だから必要になってくるのが「おおきさ」だ。それを人によっては「役者ぶり」と呼んだり、「格」とか「オーラ」とか呼ぶんだろうけれど、とにかくそういうものがしっかりと感じられる土蜘だった。何よりも体全体で「あやし」の存在になっている。
 いつか、彼の大伴黒主を観たいなあ。楽しみだ。
(1月27日 昼の部)


○追記
この前が『一條大蔵譚』曲舞と奥殿。大蔵卿が市川亀治郎。これがまたよかった。達者。これで次第に力が抜けたらさぞかし結構だろう。びっくりするぐらい台詞が猿之助に似ている。


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