「又播磨!」

やすらかに

 中村又五郎先生が亡くなられた。
 

 国立劇場では伝統芸能の継承を目的として、様々な養成所をもうけている。義太夫、太神楽、文楽……その中に、歌舞伎も含まれる。私はその歌舞伎俳優養成所に、一年通った。
 歌舞伎に熱を上げての猪突猛進だったが、結局いろいろあって、2年のところを1年で辞めた。けれど、その1年はとても大事な思い出になっている。
 そこの……なんといったらいいのだろう、監督役が又五郎先生だった。細かいところはもっとお若い先生方が教えて、全体のチェックやまとめを又五郎先生がご覧になる。今風にいうと、製作総指揮とか、そんな感じだろうか。


 私が養成所にいたときで多分、84歳でらした。
 まさに、矍鑠(かくしゃく)そのもの、といった風情だった。実際に折々「型」を見せてくださるんだが、その腰と背中の伸びように、私は驚いた。腰が曲がるどころか、10代20代の私たちの誰よりも背骨がスッと伸びている。頭のてっぺんから腰の中央まで綺麗な一直線が生まれている。先生はとても小柄だったが、そのときは武者人形のようにみえた。
 池波正太郎が惚れこんだ、というのも納得の人柄を、直に触れられたのは幸せだった。先生はお年ではあったが、意固地とか頑迷さといったものとは無縁だった。さすが「どしろうと」に何十年も教えてこられただけあって(養成所がスタートしたのは1970年!)、モタモタ・アタフタ、すべてに飲み込みの悪い私たちにも、ジックリつきあってくださった。


 なんだったか忘れたけれど、そのときの流行り言葉を、誰かが授業中にポロッと口にしたことがあった。
「ん? それはどういう意味だ」
先生は顔をしかめられて訊ねた。皆ドキッとしたと思う。けれどその意味を告げると、
「へえぇ、そんなふうにいうのかい」
 楽しそうに又五郎先生は笑われた。ホッとした。随分と好々爺じゃないか、などと生意気にも思ってみたり。そのとき講師補助としてみえていたベテランの役者さん(養成所初期卒業の大先輩)が、あとになって仰った。
「昔は、もっと怖かったんだぞぉ……。君たちは今研修生で、幸せものだね」
 そういって、笑っていた。


 先生はとても早歩きの方だった。細い脚をまっすぐ伸ばして、タッタッタッタと歩まれる。「剣客商売」というよりも、「健脚商売」といった風情だった。
 7〜8前ぐらいだろうか、私が中目黒に住んでいたころ、商店街を歩く先生に遭遇した。もう80代半ばぐらいだったと思うが、健脚が健在ですっかり驚いた。確か先生のお宅は学芸大学のほうだったと思うが、「気候がいいと、中目黒あたりから散歩するんだよ」と仰っていたのを思い出した。ピンと背筋の伸びた後姿が、とてもカッコよかった。
 

 今年1月の「歌舞伎座さよなら・手打ち式」には車椅子だが出席されていた。まだまだお元気なんだなあ、と思って喜んでいたのに。94歳、老衰。天寿、ということなのだろうか。


21日更新・こちらもよろしく→「私の渡世・食・日記

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