撲滅・ポン引き・ミュージック!

『ニセ札』

 うるさいったらありゃあしない!
 と、いきなりすいませんね……久ッしぶりに日記つけたらと思えばのっけからボヤキで……いやですね、最近一部のドラマを観るたび、「うるさいったらありゃーしない!!!」と、私は呪詛のように呟いてしまう。吐き捨ててしまう。嘆いてしまうのだ!
「医者は……末期患者の死を待つしかないんでしょうか!? 」
「この街の伝統は、私が守ってみせるわ!」
 とかなんとか。いわゆる見せ場、エモーショナルなシーンになると、ある種のドラマで決まって流れ出す、ある種のミュージック。これが、私には耐えられない。


 そーいうのを、勝手に私は「ポン引き・ミュージック」と呼んでいる。
「ほら、いまイーとこですよ! こっちむいてェ奥さん! 見逃すと損だよォ!」
 ヤマ場になると流れ出す、「イージーリスニング」調の甘ったるい旋律。
「今、感動シーンです! 感動シーンですよー! 感動シーンですってばぁ!」
 そう繰返しているかのように、バカのひとつ覚えみたいな旋律が、ラヴェルの『ボレロ』のように増幅・反復してゆくBGM。
 先のように「わたし負けない! 僕は諦めない!」ってなときは大体ストリングスですね。この種音楽が最近もっともひどいのが『だんだん』。何度もネタにしているので正直食傷気味だけれど……ひどいときは1話15分間に3回ぐらいのヘビーローテで、「ポン引き・ミュージック」が流れている。たすけてー!
 それからさらに加えて。
「わたし……わかったの。離れてみて、どんなに皆が愛してくれていたか……」
だのなんだの、しみじみ回想系のときはピアノ。それも、切ないメロディをゆっくり「パラ……パラ……」と「思い出し弾き」しているような感じで。小原孝を何のアイディアもなくパクったかのようなメロディ。


 ちいとも、「バック・グラウンド・ミュージック」じゃあないんだもの。
 私が腹が立つのは、
「役者の演技をどーして信用してやらないんだ!?」
 ということだ。
 この手の音楽は、素で勝負しようとしている役者をつかまえて、ムリクリ厚化粧させているようなもんだ。
「ちょっとこれじゃ弱いかもなあ……見てくれないとはじまらないしなあ……よし、注意引かせるために大き目の音楽つけるか」
 そー考えているとしか思えない。『だんだん』のキャストの芝居が皆いい、などとは毛頭思わないけれど、ポン引きをわざわざつけるような芝居ではないと思う。
「ホラ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! この子がいい芝居してますよー!」
 そんな声が映画からも聞こえてくる。
 キム兄こと、木村祐一監督作の『ニセ札』が特に「ポン引き・ミュージック」感が強い。ファンである倍賞美津子の芝居の邪魔をされたウラミは大きいぞ。この作品、長編初監督とは思えない達者な作品だっただけに(だから自分の映画コラム連載でも取り上げたのだけれど)、惜しい。
 最近の裏方はどこまで心配性なんだろう。心配性はお父さんだけでいい。


○追記
この手のノリ、『ニュー・シネマ・パラダイス』の悪影響というか、イージーな模倣だと思う。


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