四月大歌舞伎・1

26日まで

□4月14日(火) 四月大歌舞伎 夜の部
『彦山権現誓助剱 毛屋村の段』
 
お園=福助、六助=吉右衛門


 しかしまあ……スットンキョウな芝居だ。まずちょっと我流あらすじを。
1:主人公の百姓・六助のところへ、旅の途中のバアさんが「泊めて」とやってくる。
2:気のいい六助、快諾。
「いいよ」
「ていうかあんた独り身?」
「そうだよ」
「じゃあ、私がお母さんになってあげる」
「えーなんでーーーー(涙)」
3:そこに超強い女が男装してやってくる。これが虚無僧のカッコで尺八吹いて登場。無理ありすぎ。そしていきなり六助に「死ねェ!」と斬りつけるが
「あら、あんた六助?」
「え、そ、そうだよ」
「やーん私の許婚じゃない!」
「ええええええなんでーーーー(涙)!!!」


 いやホントなんだってば。こういうアナーキーな芝居こそが、私が感じる歌舞伎の醍醐味。
 何の事前情報も入れず、歌舞伎にふれるのが好きだ。観つつ「なーんじゃそら!」「そっ、そんな展開あり!?」と驚かされるのがたまらない。あとで筋書を読んで、「はぁ……へえぇ……そーいうことだったのか」と思いつつも、そのあまりの飛躍あふれる人間関係に半ば呆れ、半ば感心の入り混じった気持ちになるのって、不思議に楽しいのですよ。
 以下、ザッと感想メモ。



 まずおっかさんの吉之丞。その姿を見ていて、身の丈は随分違うが、先に亡くなられた又五郎さんが目に浮かぶ。こういう役も良かったもんなあ。いや、又五郎さんのお幸は観てないんですが、花車方(老いた女の役のこと)のこしらえも似合う方だったので。
 吉之丞さんも勿論お上手なんですが、このかたの本領は酷薄な悪にあると私は思う。
 お園の福助、気になるのが笑い方。どんな役でも同じ笑い声に聞こえてしまう。ごひいき吉右衛門の六助、サラーッとやってらっしゃるが、大きい。芸格の大きさ。変に作りすぎず、若さを出すのが見事。


□『廓文章 吉田屋の段』
伊左衛門=仁左衛門 夕霧=玉三郎


 まず驚いたのが吉田屋喜左衛門の我當、店先の引っ込みが実によかった。何をするわけでもないのだけれど、商売人が誰もいないところでも意味なく愛想をまくような、ちょっとした芝居をしての引っ込み。こういうことはなかなか出来ることではない。
 そして仁左衛門。いいなあ、素晴らしいなあ。このひとが「ニカーッ!」と微笑むだけで、なんとハッピーで幸せな空気が生まれることだろう。それだけで歌舞伎座が明るくなるのが、凄い。昭和30年代の植木等のスマイルと同類項の「ハレやかさ」を感じる。
 そして「ジワ」ってのはいいもんですね。登場した瞬間に起こる「まぁ……」「おおぉ……」みたいな声にならないドヨメキのことをそう呼ぶが、玉三郎の折々のキマリでおきるジワ・ジワ・ジワ。ただもーちょっと後ろを向いて掛(かけ)を見せる2度のキマリはタップリやって頂きたい。「物足りないぐらいがちょうどいいのよ」という哲学なんでしょうが。
 仁左衛門でクスクス笑っていた場内が、夕霧のクドキになるとシーンと静まり返る。この人のまわりには空気がないように思える。見るものに「固唾を飲ませる」その独得さ。
 本当にどうでもいいが……秀太郎さん、だんだんニコーッとお笑いになると、「京唄子」が入ってきているような……。
 長い。『曽根崎』は明日。



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