四月大歌舞伎・2

今年で演じて56年だそうです

□『曽根崎心中
お初=もちろん坂田藤十郎 徳兵衛=翫雀


 すごいなあ……すごいよぉ。
 政府はただちに「高齢化社会の輝かしきシンボル」として山城屋(藤十郎さんの屋号)をイメージキャラクターに登用すべきだ! いや、マジでそう思う。昭和6年というから……おんとし77歳! 
 なによりも、脚だ。腰の据わり、膝の頑健さ、足首の安定性。この3点は歌舞伎役者の身体表現における要だと思うけれど、この十全なること驚異的。立ったり座ったりに、ここまで歳の出ない七十代は歌舞伎界でもこの人しかいないだろう。そして何より、腰から裾にかけての線から生まれる「若さ」たるや……もう目がマンマル! 


 不思議だった。この話、超カンタンにいうと「思いつめた恋人同士が心中する」というシンプルなストーリー。ラスト、月夜の森で死なんとする二人の逡巡……そうだなあ、時間にして10分ぐらいだったんだろうか。この10分が、もの凄い。
 ギューーーーーーーーーーーーーーーーーーッと、藤十郎が「何か」を出す。その何かに包まれて、藤十郎がみるみるうちに10代の娘に変容していく! それは、怖いぐらいだった。
 ハッキリいうと、私はさほどラストシーン以前の藤十郎に特別な関心を持てなかった。先に述べた体の線でいうと……歳相応に、たるんで見えていた(ごめんなさい)。それが、この場になってドンドンと若返っていく。二人が「死のう、ああ……でも、」と、この世の未練と愛の完遂の間でさい悩むうち、藤十郎のテンションがグングン上がっていく。時の河をグイグイと遡るかのように、七十代から十代の女にしか思えなくなっていく。
 そのときの藤十郎は、十代の娘特有の肉の張り、のようなものまで感じさせた。それは、役者の「集中力」が生み出す魔術だ。あの腰の線は魔法としか言いようがない。芸の力で娘の「風情」だけでなく、「肉感」までも表現してしまうところがこの人の特質だと思う。こういうニュアンスは私の知る限り、他に雀右衛門ぐらいしか思い当たらない。
 大ラス、「さあ、これで私を刺して!」と刃物を男に渡す手に込められた感情の豊かなこと。一途で、思い込みの激しい十代の熱情がその白い袖の内にたぎっていた。そのなんとドラマティックだったことか。
 いい「演劇」を、久しぶりに観た。「うまれてはじめて!」という気持ちを久々に感じられて、幸せだった。


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