マイケル・ジャクソン、逝く
日本時間26日午前4時25分、マイケル・ジャクソン宅から通報。
呼吸をしておらず病院に搬送されるも、死亡が確認とのこと。
「冗談だろ」
一瞬、脳が情報を否定する。けれど同時に、「ああ、とうとう」という気持ちにもなった。不思議だ。
今日この時間(朝9時ごろ)、オンタイムに文章が書けることがありがたい。
ああ、テレビが壊れているのがもどかしい。
J−WAVE(東京ローカルFM)では、ずーっとマイケルの曲ばかり。今『We are the world』が流れている。1985年、アフリカ救援のチャリティとして空前絶後の豪華メンバーによって歌われた曲。ビリー・ジョエル、アル・ジャロウ、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、シンディ・ローパー……まさにキラ星のごとく。私は小学4年生だったが、洋楽が好きなマセたガキだった。MTVなんてのが、仙台でも流れ出した頃だったんですよ。単純に曲として感動したもんなあ。J−WAVEでは、デモ番として作られたというマイケルだけのバージョンが流されている。
何度か、総毛立った。
心不全、という診断がまた……。
いやらしい話だが、「原因不明、もしくは真相を不明瞭にしたいときに用いる病名」、なんてことよくマスコミ関係者が(この関係者、というアバウトな書き方もポイントね)囁くんだが……。
ちょうど50歳というのが、そらおそろしい。
この人は私みたいな凡庸な人間の何千倍の濃さを50年の間に生きたんだろう。フリークスとしての天才、そしてスターという最後の人かもしれない。
昨日、伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』を読んでいて思っていたこと。
本当にちょっと25年前ぐらいまでは、世の中には風刺、際どいジョーク、差別、そういったものが、「娯楽」の中に、紙一重のバランスで存在していたんだなあ、と感じ入った。
だからこそ、エンタテインメントは「大人」のものだった。世の中的な「子供」が享受するものでも、口出しをするものでもなかった。差別や侮蔑、強烈で鮮烈な悪意が、見る側にも楽しむ側にも存在していた。そういったものを娯楽に昇華させるのが芸であり、それを解する審美眼と「余裕」のある人がエンタテインメントを楽しんでいた。
公平な時代だ。そして、それは同時にこうもいえる。「良識的」で「当たり障りのない」ことばかりが建前としての「マス」になっている時代だ。だから現代では、マイケルはジョークのネタにしかならなくなっていた。
これから大賞賛がはじまる。
以上、14分で書いた(ちょこちょこ推敲しました。大筋は変えてない)。今の率直な心境。抽象的な部分はお許し下さい。
【ロサンゼルス支局】米紙ロサンゼルスタイムズ(電子版)は25日、歌手のマイケル・ジャクソンさん(50)が呼吸停止状態でロサンゼルス市内の病院に運ばれ、死亡したと報じた。
同紙によると、同日午後0時25分(日本時間26日午前4時25分)ごろ、市内のジャクソンさんの自宅から通報があり、救急隊が駆けつけた。ジャクソンさんは息をしておらず、救急隊が心肺蘇生術を行って病院に搬送したという。(読売オンラインより)
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