リズとマイケル、そして『スリラー』

 マイケル関連のニュースが、ひきもきらず。

 死因にはとりあえず、不審はないよう。よかった、と思いたい。


 こっからいきなりクダける。
 私が一番印象的だったというか、インパクトが強かったトピックが……「舞蹴雀村」ですね。


〜1987年の来日の際には、マネジャーが印章彫刻店の辻美堂(大阪市)を訪れ、はんこを注文。辻太一さん(68)が「舞蹴雀村」とする当て字の角印を手彫りで仕上げると、代金とは別に、パンフレットに書かれたサインが届いたという。
(昨日の産経ネットニュースより)




 なら「ジャクソン5」は「雀村五」……?
 不謹慎は承知ですが、ちょっとオフザケに遊びたい。「村」が、惜しい。「舞って・蹴んで」というところまでは順調。雀はいうまでもなく「すずめ百まで踊り忘れず」からだろう。「ソン」……ここで「村」なのが、安い。「尊」はどうだ。日本武尊(やまとたけるのみこと)みたいでいいじゃないか。
 ジャネットは……いっそのこと「邪網」なんてどうか。ラトーヤは「羅頭矢」か。ヘッドっぽいな。
 この判子が押されたものって、残ってないんでしょうかね。マイケル・アイテムの中でも、けっこうなレアグッズじゃないだろうか。単純に見てみたい。
 手彫りというから多分シンプルな判子だろうが、マイケルなんだもの、「玉璽(ぎょくじ)」みたいなものをお持ち頂きたかった。そう、歴史の授業で必ず習う金印、「漢倭奴国王」印みたいな感じのやつをね。


 なんだか一夜明けて、不思議なぐらい、スーッと納得してしまっている。



 「持っていかれる」ように、マイケルは亡くなった。
 子供の頃から芸能界育ち。そして不世出の天才は、50歳ぐらいが寿命なのだろうか。凡庸な引き合いだけれど、ジュディ・ガーランド(享年47歳)や、美空ひばり(享年52歳)が、どーしても頭に思い浮かぶ。


ワン・アンド・オンリーの個性。


「声」だけで、聴衆を昂揚させる独得のリズム。


そして、その「生活すべて」が大衆の娯楽になってしまう宿命。


 
 これが女優だとグッと強くなる。エリザベス・テイラー、日本ならば高峰秀子
「公私共に交流の深かったエリザベス・テイラーは、彼が病院に運ばれて間もなく駆け付け、最期の別れを告げた」(シネマトゥデイ26日ニュース)
 自らの運命と、大衆の好奇心に打ち勝つ強さ。女優性というものの1つの要素なのかもしれない。
 そしてやはり、カメラの前の人と、ステージの人とでは、意味論的に決定的な差がある。役を生きる人と、自分を「観せる」人との違い。ここに、命の永らえ方の違いがあるように思えてならない。
 芸能というのは、やはり聖と魔が混在する世界なのだ。この2つを内包する人達が、かつて「スター」と呼ばれていたのだと思う。そう思うと、「あーいう人はもう出てこないだろう」という月並みなコメントの数々に、えらく納得してしまう。


 物心つく前から、芸能界に生きた人同士。
 モンゴメリー・クリフトロック・ハドソン……リズはまたひとり、スターを看送った。



○追記


 昨日、友人がブログにアップしていた『スリラー』の動画を観ていたが……いやーーーーーー、やっぱカッコいいなあ。マイケルは「PV」とはいわず「ショートフィルム」と呼んでいたそうだけれど、まさにその通り。サビの群舞、いまだに衝撃的ですね。これを編集していたスタッフ、世の中に発表するのが楽しみで仕方なかったろうなあ。



 見直して思ったのは、カメラの据え方が非常にクラシカルなこと。マイケルのダンスをじっくり見せようという意図が強く感じられる。要所要所でアップになったり、アンサンブルを軽く俯瞰で撮ったりはしているけれど、基本この天才の魅力をきっちりカメラに収めよう、マイケルの凄さをすべて焼き付けようという、スタッフの「集中力」が感じられる。
 クリップはダンサンブルなのに、視点は確固。カメラの天地はマイケルの身長をベースとしてブレない。これがすっごくいい。これは天才ダンサー、フレッド・アステアの映画のカメラワークに通じる。




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