すれ違う人々 映画女優と舌禍芸人

香川京子

 先日、道玄坂を歩いていたときのこと。
 向こうから来る人の、ただならぬ雰囲気を感じてハッとする。不躾だがよく見れば、香川京子さんだった。
 いうまでもなく日本映画の黄金時代を彩った大女優。目を伏せ、足早に通り過ぎていかれたが……私はちょっと、立ち尽くしてしまった。呆気にとられたというか、なんというか。
 次第に実感がわいてくる。「おおおお」とコーフン、よっぽど追いかけて握手してもらおうかと思ったが、やめた。
 目で追えば後姿がまた、凛とされていた。
 


 清楚の「楚」、という文字には「真っすぐに伸びた小枝」という意味がある。
 ホントに、「楚」という文字を絵にしたようだった。そりゃ、いいお年でしょう。でもですねえ、雰囲気が素敵だったんですよ。おおよそ「俗」という感じがしない。山でキレーな空気を吸ったかのような気分になった。
ボーっと歩いていた私を、思わず顔を上げさせてしまう存在感が、凄い。
 映画スターは、違う。


 そしてその何日かあと、ふたたび道玄坂にて。
 向こうから来る人の、ただならぬ存在感にギョッとした。北野誠だった。舌禍事件で大手事務所の逆鱗に触れた、その人である。
 丸型の薄いサングラスをかけて、のっし・のっしとガニ股に歩かれる。驚くほど太鼓腹で、眉間に皺がよっていた。漫画だったらフキダシに「なんやワレ」とでも書き込んでありそうな風情だった。
 私は不思議な感動に襲われていた。
 香川京子ときて、北野誠とくる。この並びは、凄い。書店でいったら、「家庭画報」の隣にいきなり「実話時代」が並んでいるようなものである。


<参考資料>


 

 


 激しい違和感。京都「柊家」の隣にいきなり熱海「秘宝館」が建ってしまったようなものというか。だからなんだといわれればそれまでだが、松濤もあれば円山町もある、渋谷の懐の深さを見たような思いにひとりかられたのであった。
 

 観音の あとには修羅の 道玄坂


 下手な句が思わず浮かぶ。




○勝手にヤサブロー日記 『池田弥三郎伊丹十三大江健三郎
(このコーナーの起こりはこちらまで)



 3日、池田さんは山口瞳さんに「たった一つ、一番好きなたべ物を言え」と問われている。

〜わたしは「タン・シチュウ」だと思うと、言った。「と思う」と言ったところを、買っていただきたい。

 7月にシチュウを思うなんて相当好きな証拠だと思うが、続きがいい。

〜宇治派の一中節で、名をもらうことになった時、躊躇なく宇治紫中の名を選んだ。
 
 その理由が、シチュウが好きだから、というもの。
 サイコーですね。先生、けっこうお茶目でらっしゃる。ちなみに一中節は浄瑠璃のひとつ、といって分かる人も少ないか。まあ、歌舞伎とか日本舞踊でかかってそうな音楽、とでもご理解ください。宇治派って大体「紫〜」って名前がつくんですね。

 
 こういう地口(ダジャレ)、けっこう昔のひと好きなんだよなあ。
 先日も伊丹十三の昔の本、『ヨーロッパ退屈日記』(面白い!)を読んでいて大笑い。伊丹さんの友人、大江健三郎氏からの手紙を紹介し、
「来年の六月に子供が生まれる由。子供の名に、戸祭などはどうだろう、という。苗字とあわせて大江戸祭になる、というのだ。ふざけた男である」
 大江さんのイメージ、変わりました(笑)。光さん、「戸祭」だったかもしれないのか。



毎日更新!・こちらもよろしく→「白央篤司の独酌日記

○お知らせ
ブログランキングに登録。 どうか1日1クリック↓を。
http://blog.with2.net/link.php?198815


○ご意見などはこちらまで→hakuoatsushi@gmail.com