ひとつの「修羅」

愛知県の妻殺しのニュースを聞いて
不思議な衝撃と困惑を感じた。(記事を末尾に添付)
うーん、「不思議」とかいう言葉を使うのは
好きじゃないんだけど(そういうモヤモヤしてる
ものを言葉にするのがライターという仕事だと思うしね)
そうとしか言いようがない。何だ、これは。


スッと読むとわかりやすいことこの上ない事件なのかもしれない。
父としての理性と努力を持てなかった男。
彼の中で、妻は「子供」という相手に
浮気をしていたような錯覚をしていたのかもしれない。
単なるエゴイスト……? と、いうよりも。
この「男」のメンタル的な「女性化」を
感じるんだなあ。なんていうかね、ベタの意味合いですよ。
つまりこれ、男と女を入れ替えると私的には納得いくんだ。
「子育て」という「仕事」にかかりっきりで
振り向いてくれない、構ってくれない「主人」に対して
不満と嫉妬を積もり積もらせる「連れ合い」。
たとえば殺された妻が芸術家だとして、作品製作に掛かりっきりのところを
その伴侶が癇癪起こして「キーーーッ! なによッ、こんなもんっ!!」
って見境なく切れてしまったようなものなんじゃないか。


ひょっとして、ひょっとしてですよ。
その、「憎悪の感情」とか「殺意」というものが
爆発する一瞬、ひょっとして彼は「子供」に向かっていったのではないか。
愛情が自分から逸れたとき、人は逸らした相手よりも
逸れた対象物を憎むものだから。それを必死でかばう妻が抵抗すればするほど、
「どうして、どうして!」と彼は感情的になり
いつのまにか妻を……。
この記事を読むと、そんな情景が目に浮かぶのは
私だけだろうか。はい、私だけです。
実際どういうやりとりがあったのか
知るべくもないのでこれ全て私の妄想だが、
私は、男女のスタンスがすこし掛け違ったことで生まれた、
単純な、そして悲惨な事件だと思う。


いや……だけど、このような事件が安心感をもってきける自分が嫌だ。
わかるもの。わかりやすいもの。自分なりに。
愛情や憎悪の錯綜がなんとなく類推できる事件なんて
久しぶり。あまりにも「卑劣」「なんというむごいことを」
としか思えない事件がコンスタントに起こっているから。
この事件で「ああ、まだキチガイばかりじゃない」と
思ってしまう陳腐な自分の精神が、「不思議」な感覚
だったのかもしれない。
今留置所の中で、愛するものを失った「彼」は、
愛した人との「子」に、何を思うのだろう。




●9月6日のヤフーニュースより

愛知県警西尾署は5日、同県一色町
会社員三矢賢吾容疑者(30)を殺人容疑で緊急逮捕した。


 調べによると、三矢容疑者は同日午前0時30分ごろ、
自宅寝室で、妻で看護師の理香さん(31)の
全身に布団をかぶせ、窒息死させた疑い。


 夫婦は昨年7月に結婚したが、理香さんが
今年7月に出産した長男の世話にかかりきりになっていたといい、
三矢容疑者は「妻の愛情がすべて子どもに行ってしまったのが許せなかった」
と供述している。 三矢容疑者は両親、
妹と同じ敷地内に住んでおり、離れに理香さん、
長男の3人で暮らしていた。両親や妹の話では、夫婦仲は悪くなかったという。


 三矢容疑者は犯行後、理香さんが動かなくなったため、
母屋にいる両親に「妻の様子がおかしい」と伝え、
理香さんを救急車で病院に運んだが、間に合わなかった。