「ゴゼンサマ」

この言葉を、昔はなにか憧れにも似たような気持ちでとらえていた。
イメージで言うと、 そう、マスオさんがたまに羽目をはずして
赤ら顔で、片手にお寿司の折り詰めを ぶら下げて帰宅するかのような、そんな感じ。
実際父の30代の頃がそういう人だった。
損害保険の営業だったからつき合いがとても多かったのだろう。
一人で楽しむために、飲む人ではなかった。
毎日のように、僕が寝てから帰ってきて、僕が学校に行く前に出て行く父だった。


たまに夜中、 突然感情的な怒声が聞こえて目覚めると、
父が玄関でお土産を片手に、母に文句をぶつけられていた。
僕が起きたことまでネタにして母は怒り続ける。
「あなたが遅く帰ってくるから子供も目を覚ましちゃったでしょ!」
それは違うよ母さんと、眠い目をこすりながら
子供心にそう思っていたが、酔った父は「いいんだ、いいんだ」と言って
取り合いもせず笑っていた。


父は酒が入ると、普段は話さない故郷の訛りが少し出る人だった。
それが、急に父が知らない人のようになってしまったようで恐ろしく、
幼稚園の頃には泣いてしまったことがある。
しかし長じては、普段は寡黙で仏頂面の父が機嫌よく話しかけてくれることが
嬉しくなっていった。
「まったく、ゴゼンサマでいい気なもんね!」
母が苦々しい顔でよく呟くその言葉は、大人を、普段と変えさせる
何か面白いものだということを、小学何年生だったかのとき、感じたことを思い出す。
いつか、自分も「ゴゼンサマ」をしてみたい。
そう思ったのはもう20年近くも前になる。
念願かなって、じゃないけれど、 私が酔いもいい気分に12時過ぎて
帰ることが多くなった頃から父は、もう「ゴゼンサマ」をしなくなった。


昨夜、私は会社で原稿をずっと待ちながら、
仕事で向かえる午前様はつまらないものだと思った秋の夜。


父と、いつか一緒に
「ゴゼンサマ」をしてみたい。
母は、変わらぬ勢いで怒ってくれるだろうか。