あたりまえのことを書くとこんなにもつまらないという見本

いーっぱい種類あるんですね

俳優の根上淳さんが亡くなった。
最近では成瀬巳喜男監督の佳作
『山の音』の助演で記憶に残る
角梨枝子さんも亡くなった。
日本映画の黄金時代の
名バイプレイヤーが次々と。
先日は中北千枝子さんも
亡くなったというのに。悲しいことだ。
なーんて知りもしない時代の
俳優さんたちを愛惜してたら
ネクロフィリアみたい」などという
酷いこと言われてションボリ。
日本人って過去のマスターピースないがしろにし過ぎだと思うけどねえ。
古典を知らないかぎり「グローバル」ってありえないと思うし。


最近強く思うことは、「分かることしか分かろうとしない人々」が多すぎる、ということ。
「好き!」という感情だけで突っ走っていく。その中の「分からない」「知らない」
部分に対峙しようとしない。先日も「映画ライター」と称する人と話していたら
あまりにベーシックなことを知らな過ぎるので驚いた。
フェリーニという名前を聞いたことがないというので
「結構有名だと思うけど?」と答えたら
「それが有名だって言う時代が終わったんじゃないですか」と返された。


だいぶ話が変わるようだが歌舞伎の役者さんと話す機会がたまにある。
あの世界は「門閥」(親類縁者ってな意味)以外の人間は殆んどと言っていいほど
出世は望めない。それを承知で「好きで好きで堪らない」という人々が入ってくる。
給料は悪くて保障も悪い。一年中旅ばかりで稽古を含め拘束時間も長い。
究極の役者オタク達だけが自然に残る。みんな演目の表も裏も知り尽くした
長老脇役などは、その家の宝物のような存在だ。
彼らが最近、一様に言うそうだ。
「もうおぼっちゃんに方には厳しく言いませんねえ、何か注意したところで
『時代が違うんだよ』と返されちゃいますから」
というのが理由らしい。


私は中学生のときに読んだある本の一節が忘れられない。
「知らないことは恥である」というごく短いものだ。
それは真実だと思うし、どんな些細なことでも知らないより
知ってることのほうが尊いと私は思う。
正しいことだけをいたずらに主張するのは野暮なことだけど、
知ってることだけでいつまでも人間は突っ走れるものだろうか。
知らないことを知りたいと初めて思ったとき、
その人に教えてくれる人はいるのだろうか。
今の「時代」はネットがあるから平気なのだろうか。
一番大事にすべきは、「そんなことも知らないの」と言ってくれる
有識の先輩だと本当に思う。
ああ、なんだか道徳の教科書みたいだ!
本当につまらないことを書いてるなあ、くっそう!!


いやー焦ってるんですよ
30歳にもなってなーんにも知らない自分に。
なんとこの世には素敵な本と映画と人間が多いんだろう。
忙しい中できっちり文化的栄養を摂取してる人のなんと多いことか!
下を見てる暇なんてないね、自分のためにちょっとそのへん洗い直したくなった
今日も秋晴れの火曜日。