美声DJ・秀島史香 その2

さて、昨日から書きつづっている
わたしのご贔屓ラジオDJ、秀島史香さんのことだ。


先日なんとはなしにテレビをつけていたら
いきなり、「秀島史香です」と聞えてきたので大変驚いた。
私がこの方に対して思っていたイメージは昨日の日記を
参照していただくとして、その瞬間画面を見ようかどうしようか真剣に迷ったが、
結局彼女の顔を見ることにした。
彼女に対する勝手なイメージを抱いたまま、永遠にその顔を見ないのも一興と思ったが、
そのときの気持ちは、誤解を恐れずに言うと「怖いもの見たさ」「興味本位」
だったと思う。結果、彼女の顔は私の想像と大変かけ離れたものだった。
私は大人っぽい感じの、昔の池上季実子みたいな人を想像していたが
どちらかというと童顔で、可愛らしい日本的な顔だった。


うまく表現できるかどうかわからないが、そのとき私が感じたのは
「女というのは結局笑えない存在」ということだ。
女性というのは存在するだけで「娯楽」になりえるが、
「笑われる」対象にはなれないと思った。
これが美声の男声DJだったら、あまりにも声と顔のイメージが違ったとしても、
自分次第でそれをユーモアに変え、武器に出来ると思う。
それに周囲も、「結構イメージと顔違いますね」と突っ込めるだろう。
だが女性だとそうはいかない。
「とても色っぽい声」の女性が「とても色っぽくない顔」だった場合、
笑いやユーモアに変換することは至難の業だと思う。
たとえ本人がそこを逆手にとって笑いやユーモアにする気満々だとしても、
受け手が「申し訳ない」と思ってしまうのがネックなのだ。
女性の顔をとやかく言ってはならないというコンセンサス、結構強いもの。失礼だもの。
結論。女性は「笑い」を提供することはあっても
「笑われる」というパターンのスタイルは向かないのだと思う。
旧時代的な女を型に押し込むような考えと揶揄する人もあろうが、
私はこれひとつ真理だと思った。


●付記
結局秀島史香さんをダシにして、笑いの考察をしたかのような結果だが
彼女はコケティッシュな容貌に若々しい顔立ちの可愛い人であった。
勝手に私が「阿川泰子」みたいな顔を想像しただけで
勝手に「イメージと違ったなあ」と驚いただけである。
それはラジオという媒体のもつ性質上
仕方ない範疇の事だと思うし、結果多少失礼な結果になってしまっていることも
認めるが、女性性と笑いのひとつのパターンとして書き留めたかった。
くどくどうるさいですね、はい、最初にも書きましたが
迷うなら書くな。失礼しました。


●お知らせ
ブログランキングに登録。
よかったらクリック↓お願いします。
http://blog.with2.net/link.php?198815