尾上松助丈の死

享年・59歳、早過ぎる。

どうしてなのですか。なぜですか。
歌舞伎俳優の尾上松助が昨日亡くなられて私は今、
むしょうに悲しくてしかたがない。やるせない。
なぜあんないい俳優が亡くならなければならないのか。
ひどい言い方だが歌舞伎にはもっと出なくていい役者が
はいて捨てるほどいるというのに。
なぜ、松助さんを神様は持っていったのか。ひどすぎる。


上手い、巧い役者だった。
歌舞伎だけの言い方かもしれないが「口跡」のとてもいい役者さんだった。
「朗々と」という形容詞の意味がよくわかるいい声で、
歌舞伎独特の歌うような文句なぞ巧すぎるぐらい巧かった。
スラリとした長身で、決して美男子ではないのに
粋な身のこなしとセリフのよさで、二枚目にみせてしまう役者だった。
きちんとした「芸」のある人だから、立役のみならず女形も独特の味があった。
いつだったか、芝翫が更科姫をやった新歌舞伎十八番のうちの
「紅葉狩」のとき、芝翫の名指しで局役の田毎を任命され勤めていらしたが、
これが古風な香りのする大変素敵な田毎だった。
これから花車形などいろいろ演じていただきたかった。
でもそれももうすべてがかなわない。


銀座生まれで銀座育ち、松助さんの年代につかう言葉ではないのだろうが、
ほんとうに「モダン・ボーイ」という感じの方だった。
オシャレで清潔感があって粋で、遊びなれている感じで。
いかにも菊五郎劇団らしく、「もてるんだろうなあ」という感じで、
大人の魅力のある男性だったと思う。
一度だけ、銀座の行きつけという蕎麦屋さんで
お酒に呼んで頂いたことがあるが、猪口の持ち方から
スッと日本酒を流し込む仕草まで決まっていて、流石役者、という感じだった。
その日はちょうど休日で、銀座のバーは
どこも休みだったから2軒目に流れることが出来ず、
「これでバーがやってりゃいいのになあ」と
子供のような言い方をされたのがすごく印象的で、昔の日活映画を観るような思いだった。
いい生地のロングコートを召されていて「じゃ、ね」と言って銀座通りで別れたときも、
なにか舞台の一部のように決まっていた。


本当に亡くなったのだろうか。
まだまだ観たい役がたくさんあった。
こんないい役者がなぜ持っていかれてしまうんだろう。
あんな「役者役者」した人がいなくなってしまうなんて。
もう一度、歌舞伎座の天井に
音羽屋!」と響く舞台が観たい。


―――――――松助さん!



尾上松助プロフィール
昭和21年7月13日生まれ。新派の名脇役だった春本泰男の長男。二代目尾上松緑の部屋子となり、29年6月歌舞伎座源氏物語』の薫の君ほかで初代尾上緑也を名のり初舞台。テレビ『赤胴鈴之助』の主役でも活躍。46年5月歌舞伎座『土蜘』の番卒藤内で二代目尾上松鶴を襲名し名題昇進。平成2年5月歌舞伎座伽羅先代萩』の荒獅子男之助と『御所五郎蔵』の五郎蔵で六代目尾上松助を襲名。平成17年12月26日没。


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