私とくじ運

生まれてはじめて宝くじを買ったのは、30歳のお正月。
ついこのあいだのことだ。どうしてかは分からないが、
吸い寄せられるように売り場にいた。
連番とバラ、という方式だけは知っていたから、
連番で5枚買った。我ながら、ケチである。
「何かに呼ばれたのよ、当たるんじゃない?」
などと無責任にいろいろと友人がはやしたてる。
ちょうど田舎から帰ってきたばかりで
墓参りをすませたところだったから、
「お祖父さんが導いてくれたのじゃないだろうか」
などと自分も虫のいいことを考えてしまう。
結果は24日に出るようだ。


 自分で言うのもなんだが、昔はくじ運のいいほうだった。
「念じれば通ずる」というか、そんな強い信念があったのだ。
商店街のくじをひいて、スカがでることや
ティッシュだけということは、まずなかったように思う。
私なりのプロセスがあった。くじ箱に手を入れて
一心に念ずる。そのとき「当たれ! 当たれ!」と念じては
ダメなのだ。「来い、来い、来い」とひたすら
無心にかきまわす。どう違うのかと聞かれたら困るのだが、
何かを引き寄せるような気分といえばいいのだろうか。
するとフッと手のひらに入ってくる一枚がある。
その感触を感じたらすぐにパッと拳を引き出すと、
たいてい「三等」ぐらいは入っていた。
信じられないかもしれないが本当だ。一番ノッていたときは、
続けて二等、三等とひけたこともある。
今までくじで手に入れたのは、レコード券、図書券
ラジコン、おかきやらハムの詰め合わせ、
タイガーの魔法瓶、食事券など。「ちょっとした幸運」程度の
成果だが、当時の私にしたら、自分では買えないような
値段のものを手に入れられることが嬉しかった。
一等は一度だけ。大好きなレゴブロックの
宇宙要塞がおもちゃ屋の歳末くじで出ていたのだが、
あのときほど全神経を集中させたことは
その後ないであろう。それでいいのか。
結果は、みごと当選。一瞬空恐ろしくなったが
親のほうがビックリしていた。家に帰って
組み立てていたとき、「もっと楽しいはずなのにな、
嬉しいはずなのにな」と、不思議な気持ちになったのを覚えている。


 その神通力があらたかだったのは小学生ぐらいまでだろうか。
ある日ふと気がつくと、 くじに対するあの異様な自信がなくなっていた。
とあるデパートで行われていた抽選で、
「くじ運すごいんだからやってみたら?」
と、母にうながされて並んだが、瞬間的に「はずれる!」と思った。結果も同様。
「もう、当たらないだろうな」という直感が
そのときからある。不思議なことだが仕方ない。
以来熱が冷めたように、くじや抽選というものに
なんの興味も湧かなくなってしまった。
懸賞に応募しようとも思わないし、
ギャンブルにもまったく興味がない。
なんだか長ずるに従い霊力を失った巫女のような話だが、
(こんな綺麗な例えにするのもどうかと思うが)
あの頃を懐かしむような気持ちはまったくない。
小さい頃は、運をいくら使っても構わなかったのだと思う。
親に育てられて、何の不自由もなく生きたいように
生きれた頃は。今はその運を、人生の本分に
まわしているのだろうなどと、これまた虫のいいことを
勝手に考えているのであった。だから今回の宝くじも……
まあ、当たらないだろう。


●お知らせ
ブログランキングに登録。
1日1クリック↓プリーズ!
http://blog.with2.net/link.php?198815