芝山幹郎さんの「隠された記憶」に関するコメント

もうすぐ公開

うーんスゴイなあサスガだなあッ!
週刊文春」4月27日号の
「シネマチャート」を読んで私はプルプル震えていた。
翻訳家の芝山幹郎さんのコメントがあまりにも見事だったから。
このページは長期連載だからご存知の人も多いでしょうが、
コメントにできる文字はマックスでたったの54字。
ほとんど「ひとことコメント」の世界ですが今回の芝山さんにはヤラれた!
これから公開されるミヒャエル・ハネケ監督作(『ピアニスト』)の
『隠された記憶』という映画についてこう書かれている。
心理的握力は強いが映画的握力が弱い。リヴェットやブレッソンとはそこが違う」
この一言! 「ああ、私はそういうことが言いたかったんだ!」と
思わせてくれる批評家ってサイコーですね、嬉しくなっちゃう。
心の中のモヤモヤしたことがイキナリ明文化。疑問氷解。
この作家、本作のプロデューサーによれば
「映画を見終ったあとで議論したくなるような作品」を作りたいと思ってるそうで、
それが私にはまったくもって不愉快だった。
確かに達者な点は多く駄作とは言い切れないけど、
この映画はハネケ・ゼミの「テキスト」なんだなあ、と私には思えたのだ。
こういう「見たい人だけ見て下さい」という映画は、私は好きではない。
なんていうか……「ハネケ・シンポジウム」に無理やり連れてこられた感じ。
とっつきにくいテーマを選んだり、分かりにくい表現をするのは勝手だが、
(ものすごい乱暴な言い方をすると)「芸」でそれを見せ切れなきゃ嘘だろう。
そこが「映画的握力」だと思う。少なくとも、主義主張の表現に
フィルムを使うのは賛成できない。
それならば、「シンポジウム―日常の欧州における悪意―」とでも銘打って
フィルム講演会を開くべきだと私は思った。


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