新文芸座「豊田四郎特集」

『甘い汗』

昔、日本映画の一大ジャンルに「女の一代記」というのがあった。
多分これの金字塔が溝口健二の『西鶴一代女』であり、
そのほかにも『あらくれ』『紀ノ川』『放浪記』など、日本映画を代表する監督なら
一本はこの手のジャンルに挑戦してるといっても過言じゃない気がする。
(この辺をまったく無視したのが黒澤明ね、というか女は描けない人だったと思う)
 豊田四郎という監督は、ほんっとに人生を通じて「女性映画」にこだわり続けた人だった。
代表作はなんといっても『夫婦善哉』といわれるが、これも淡島千景演ずる蝶子という芸者の一代記のようなもの。
(原作をそういう主観に変えた豊田の作戦は見事に成功してると思う。森繁久弥という俳優は
器用な「俳優芸人」だとおもうけど、主演男優では決してないのだ、というのが私の持論)
そんな彼の隠れた傑作、『甘い汗』('64年・京マチ子主演)と『波影』('65年・若尾文子主演)を見てきました。


 いやーこっから語調も崩れますが、どっちもたいした傑作ですよ、
こんなに注目されてなくて評価も低いのが不思議なくらい! 二本立てなんて
「いやだなあ、疲れちゃうなあ、もう無理だよなあ」なーんて思ってましたが
映画の力でグイグイ見せてくれちゃって。ちっとも疲れず面白く見れました。
(あんまり思い出したくないが……二本立てなんて軽く21年ぶりのような気がする。笑
最後に見たのはガキのとき、『ネバーエンディング・ストーリー』と『オズ』の二本立てだった)
『甘い汗』はどぶのような街で虫のように生きる娼婦の人生を、
『波影』は水上文学お得意の哀れで薄幸ながら、菩薩のように生きる一人の娼妓の人生を描いた作品。
 うーん……豊田演出もさることながら、「一人の女優の演技と芸」で完全に一本推し進めちゃう作品ですね、
素晴らしい! 撮影とか編集とか豊田芸術のうまさは勿論だけど、どちらも京マチ子若尾文子という
パーソナリティなくしては成立し得なかった作品なんだなあ。
「そういう女優がいたからねえ昔は。今はダメだねえ」という結論になりがちな話ですが、
逆に、こういう監督がいたから女優が育ったわけですね、本当にそう思う。
若尾文子も『祇園囃子』(溝口健二)でしごかれて女の一生に挑戦し、
京マチ子も『偽れる盛装』(吉村公三郎)で
ひとりの女の人生を演じきったことが、ひとつの転機だったんじゃないだろうか。


今でも「女性映画」というジャンルは唯一、
「朝の連続テレビドラマ」と「橋田壽賀子ドラマ」で細々とそのスタイルを残しているが、
やっぱねー、観たくなる「女優」がいないから廃れちゃってますねえ。
(多分最後のこの系譜は、市原悦子主演「家政婦は見た!」で終焉を迎えると思う。
片平なぎさには悪いが……他に適当な人がいないから彼女がやってる、という部分はあると思う)
 豊田作品を観て私は、女優が育つ土壌、というのが現在本当にないんだなあ、と思ったわけです。
豊田四郎の陰険な女優しごきってのは、それはそれはすごかったらしい……あと増村保造とかね)
 一人の女の人生に挑戦させて、納得がいくまで「カット!」の声をかけない演出家。
そんなことは経済的にも(フィルム代もかかるしねえ、俳優も長いこと拘束できないし)
力関係としても(俳優のほうが偉かったりするしねえ)出来ないよなあ。
ああ、米倉涼子に、若村麻由美に、寺島しのぶに、荻野目慶子にこーいう作品を与えたい! 
こーいう演出家をぶつけたい! ダメだよ男とシェークスピアしか興味ない蜷川とか
「サラッと気持ちのいい感覚映像」ばっかり撮ってるやつらとかと仕事しちゃ!
今、女優達は金を出し合って世界最高の「イタコ」を呼んで
豊田四郎と交霊しろーーーーーーーーーーーッ! しごいてもらえーーーーーーーッ!!
 などとアホなことを思った新文芸座の特集でした。


●付記
『甘い汗』は佐田啓二が元マグロ漁船の船長で、詐欺めいたこともするヤクザを好演。
『喜びも悲しみも幾歳月』みたいないー人のイメージが強い彼だが、悪役が本当に巧い! のってる!
でもこの撮影中に不慮の事故により死亡、一部円谷プロの協力を得て
特撮によりシーンを完成させたという悲しい逸話もある作品だ。


新文芸座HP:http://www.shin-bungeiza.com/schedule.html


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