清水ミチコのお楽しみ会2007

会場にあったオブジェ

■「清水ミチコのお楽しみ会2007」 
 他の学校はどうか知らないが、私が小学生だった頃、クラスの教壇脇にはオルガンがあった。先生が弾いて皆で歌ったのかなんだかウロ覚えだが、確かにあった。休み時間には、ピアノの弾ける子なんかが皆に「なんか弾いてー」とせがまれ、ブルグミュラーの「タランテラ」なんかがよく奏でられていた。そうすると男子は「俺も弾けるぞー」とめちゃくちゃな「猫踏んじゃった」だのを弾きに乱入してきて、女子が「やめてよー」「うるせー」などと笑いあう、そんな光景がたまに見られた。


 こんな学級のささやかな一場面で、小器用といったら失礼なのだけれど、そのときのヒット曲やアニメソングなんかを片手だけ弾けちゃう子がたまにいた。紙芝居のおじさんじゃないが(さすがにこれは私も知らないけど)、みんなに「弾いてー」とせがまれること大した人気者だった。だけどそれはスポーツできる子の人気とはちょっと違う、カルチャー系のささやかな人気者だ。のびのび校庭で遊ぶ子がクラスの半分としたら、その残りのさらに3分の1ぐらいが嗜好する、ちょっとコアな世界。
 頼まれるほうもどこか気恥ずかしさをたたえつつ、「これも弾けるようになったんだ」と「南の島のフローネ」のメロディを披露したり。聞くほうも聞かせるほうも、なんだかすごくちっちゃいサークルというか連帯感。しかしながらどこかに閉じこもってやる訳ではない(なんたってクラスのまん前だもの)。へんに開放的かつインティメートなのだが、不思議に楽しい時間だった。


 ものすごく前置きが長くなったが、清水ミチコはいつまでも、そんな「気恥ずかしさ」をたたえている。すごくいい意味で、いつまでも素人くさい。デビュー20周年という記念ライブだったが、この人のライブはいつでも、そんな長いキャリアを感じさせない身近感(やすっぽい「親近感」とは違う)がある。クラスのお調子者がふざけてるような、教壇(やる側)と机(見る者)ぐらいの距離感。そして彼女からは「こんな私が人前でネタやっちゃってスイマセンねえ」という、はにかみというかテレといったものが消えない(だからこそ松任谷由実桃井かおりデヴィ夫人田中真紀子といった「私はとにかくナンバーワンなのよ!」という強い女性のモノマネをしたくなるのだろう)。しかし一度舞台に立って吐く毒は一級品。そこの腹の割り方が「プロ」なのだと思う。そことアマチュア性のバランスが崩れない、それがこの人の個性だ。
 好きだからこそからかいたくなるポイント、そして「これってどうよ」というものを笑いものにするときに必要な知性と適度な距離感、そして品。そして適当さ。この3つが清水ミチコを構成する三大要素なんだと思う。私は17歳のときに彼女のジャンジャンのライブに行って以来ずっと見続けているが、普遍だなあこのバランス。いやー、笑った笑った。草月ホールがあんなに笑いに包まれるのも滅多にないことだろう。
「決してブログやらにネタ書かないように」という本人からのおふれがあるので詳述しませんが、ライス国務長官の顔マネ、そして謎の怪人「目マン」、彼女なりの追悼といえる「岸田今日子エクトプラズム」などなど、あー思い出し笑いで頬の筋肉が痛い。7月まで全国公演があるようです。


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