第9回 別府・アルゲリッチ音楽祭

若い写真にしました

 優れた音楽家というものは、単音ひとつ、和音ひとつ奏でただけで、単なる「音」ではなく「音楽」を生み出してしまう。もちろん、そんなアーティスティックな瞬間はそうそうあるものではないのだけれど。しかしマルタ・アルゲリッチというピアニストは、そんな「芸術的遭遇」を、聴き手にしばしば体験させてくれる。

 ドイツ・グラモフォンに録音された彼女のショパンスケルツォ2番を聴いたときが、私にとって彼女とのはじめての出逢いであり、そんな初衝撃のひとときだった。ラスト、主題に戻る手前の展開部、とある和音に込められた激しい感情、それでいて割れない響き、雷みたいな躍動感……構成する美質をあげればキリがないのだけれど、とにかくショッキングだったとしか言いようがない。流し聞きをしていた私はその瞬間、力強い腕に胸倉を掴んで、たぐり寄せられたような気持ちになった。こんな「音」を私はピアノで聞いたことがなかった。以来、ずっと私はこのピアニストのとりことなっている。
 その「音」は健在だった。しばらく彼女の生音を聴いていなかったし、さすがに歳をとって力や情感も色あせているかも……などとネガティブな憶測があったが、この天才の炎はまだまだ燃えていた。
 私が聴いた4月14日、彼女が演奏したのはバルトークの協奏曲第3番。特に素晴らしかったのが第2楽章冒頭のピアノソロ、最初の和音だけでもう素晴らしい「音楽」だった。このアーティストの心の内にある音楽的感動と芸術世界、それがひとつの和音にのってホール全体に広がる。それを聴き手として共有することの喜び……私は「ひとの美しいこころ」に触れることが「感動」の定義だと思っているが、まさにそんな時間だった。そしてこのピアニストがとても尊敬と人気をもって迎えられている暖かな会場(iichiko総合文化センター・響きのいい立派なホールだった)の雰囲気もなんとも心地よく、まさに素敵な音楽の「まつり」、こんなイベントが毎年ある別府の人がうらやましい!


●追記
 最後に彼女を聴いたのが1994年(サイモン・ラトル指揮、バーミンガムシティフィル共演のプロコフィエフの3番・昭和女子人見記念講堂)だったからもう13年前。力強さや敏捷性のようなものはどんどん失われているのでは、などとちょっと心配したがまったくの杞憂だった。あのグイグイと音楽を推し進めていく感情のうねり、それを具現化するテクニックは健在。来年もぜひ聴きに行きたいものだ。というか、間違いなくアルゲリッチが毎年聞けるなんてなんて贅沢なことであろう!


●お知らせ
ブログランキングに登録。 どうか1日1クリック↓を。
http://blog.with2.net/link.php?198815
ご意見などはこちら→hakuo-a@hotmail.co.jp