「徹子噺」の愉しみ

いつまでもお元気で


 私はなぜ、かくも黒柳徹子の逸話が好きなんだろう。
 好き……というレベルを超えて、コレクターという域に達しているといっても過言ではない。いきなり話は飛ぶようだけれど、この日本が生んだ最大の「タレント」の不幸は、なんといってもトークが面白過ぎるというところにある。NHKに就職後、日本ではじめてのテレビ女優として活躍し、声優、舞台女優としても多くの業績を残された。著述にしても然り。ひょっとしたら本人、司会などをするよりも、女優業を極めたいとか、子供の頃の夢であったという音楽家になりたい、という道を追求したかったかもしれない。本当に多彩な人だと思うし。しかしなんといっても面白いのは「トーク」なのだ。世間が彼女に求めているのは(技術的な意味と無意識からくる面白さも含めた上での)「話術」なのだ。
 それは、彼女にとって幸福なことだったのだろうか。そんなことを、ふと思うときがある。


 と、徹子論はまあさておき、私はこの人の「ボケっぷり」が堪らなく好きなのだ。愛している。ワザと(狙い)なのかマジ(天然)なのか、そのミックス具合がヒジョーによい。ボケ100%の上沼恵美子、マジ100%の西村知美と、斯界にはボケ・オーソリティも様々。しかし天然に見えて、「あんた本当は分かっててやってるでしょう」とどこか思わせる小意地の悪さ、「でもやっぱナチュラルにボケなのかも……」と思わせる危なっかしさ、その「配分」が、徹子のボケでは常に不透明なのである。
 これは相当ハイレベルのボケであり、一朝一夕に培われるものではない。「どっちやねん」と突っ込めない大物感とキャリア。心の底をうかがい知られることのないポーカーフェイス(化粧が濃いというだけではない)。この2つをあわせ持つ徹子ならではの「ボケ」。
 彼女はいまや「森繁久彌」の正統なる後継者に他ならない。そう、あの確信犯的ボケと超天然&加齢的ボケの見事なミックスは、かつて森繁が得意としたひとつの芸ですね。そういったボケっぷりが活かされたトークは、もう良質な落語の枕や小咄に相当する「作品」だと私は思っている。そう、徹子の小咄、略して「徹子咄」ね。
 

 長いゴタクになってしまいました。先日も極上の徹子咄がかの番組で披露されていたので、それらをメモ的に記しておきたい。そう、単にそれだけの日記なんです今日は。


○ゲスト:北大路欣也さん
映画『空海』を撮影中、苦しい航海に耐えて命からがら唐にたどり着いた空海を表現するために
徹子:「とっても苦しいダイエットなさったんですって?」
欣也:「はい、断食をしました」
徹子:「まぁ……そうなの、大変でらしたでしょう。で、断食の間って何を召し上がるの?」
欣也:「え……は……あの……」


北大路欣也さん・その2
徹子:「空海は遣唐船に乗って唐に行ったのよね?」
欣也:「そうですね」
徹子:「あなたも今回中国行くときは遣唐船に乗ったの?」
欣也:「…………」


○ゲスト・かとうかず子さん
バブルの頃に登場した写真が出るや
徹子:「んまぁあなた、随分この頃眉毛が濃くていらっしゃるのねえ」
かず子:「この頃こういうメイクが流行っていたんですよね」
徹子:「ああ流行でねえ、オードリー・ヘップバーンとか?」
かず子:「いや……それよりは私若いんですけれどもね……」


 うーん……堪らん! ああ、こんな風に文字にしても本人が話す面白さの万分の一も表現できないのが悔しいなあ。徹子咄のエッセンス、最高傑作の数々は彼女の名著「トットの欠落帖」にたっぷり収録されている。私は友人に「何か面白い本ない?」と訊かれたら迷うことなくこれを薦めるてます。興味のある方はどうぞ読んでみて。


 いい徹子咄があったらどうぞ皆さん、教えてください。



●お知らせ
ブログランキングに登録。 どうか1日1クリック↓を。
http://blog.with2.net/link.php?198815
ご意見などはこちら→hakuo-a@hotmail.co.jp