映画 『めがね』―虚心というこころ―

撮影は与論島だそうです

 なんとも、「無駄」の多い映画だ。しかしそれは、でっぷりと肥えた体にこびりつく脂のような「無駄」とは違う。例えるなら、女の人の着物の「お端折り」のようなもの。なくてもいいはずなのに、どうしてもなくてはならないような、不思議な、大事な、「無駄」なのだ。
     

 沖縄の離島、黒島に行ったことがある。「島時間」というのだろうか、あれだけは実際に行ってもらわないと説明のしようがない。手垢のついた表現だけど、「時間がゆっくりと流れる」という、その感覚。というか、時間のほうがゆっくり流れるのではなく、島にいるうち、自分ぜんぶが次第にゆっくりとしたテンポに変調していくような感じ。大げさにいえば、脈拍とか鼓動、ひょっとしたらシナプスの動きすら、ゆっくりになっているんじゃないだろうか。


 例えば、犬は野を歩くとき、何か考えているだろうか。牛が牧場を歩くとき、何か思いを胸に秘めているだろうか。あの淡々とした、無我のような、それでいて感覚は研ぎ澄まされているような、動物が歩きゆくさま。うん、島にいたときの気持ちを思うと、そんな感覚に近づいていたような気がする。黒島の自然の中で、ただボーっと歩く。疲れたら、座る。寝転がる。浜に行って酒を飲んで、海に浮かぶ。この物語は、ひとりの女が南の島の自然と人に触れ合ううち、島のリズムにしばし同調していく様を描いている。
 たっぷりと撮影される島の人々の「間(ま)」。スローモーな歩調、口調、そのリズム。最初はまだるっこしく、映画としてテンポが悪いと感じるかもしれない。でも、それは「島への擬似旅行」に必要な一種の、ちょっとしたショック療法だ。主人公(小林聡美)の戸惑いと共に、見る側は島のシンコペーションに取り込まれていく。贅沢で、不可欠な「無駄」に包まれているうち、主人公は心の「無駄」をどんどん捨て去っていく。あってもいいが、なくてもいいもの。都会では必要でも、ここではいらないもの。逆のもの。それらが何となしに感じられていく。そしてたどりつく「虚心」という感覚。
 適度で、要を得たユーモアの散りばめ方、必要以上の演技やセリフを排したスッキリとした演出。前作『かもめ食堂』でみせた荻上直子監督の閑雅なセンス、いいなあ。特筆すべきは音楽のチョイス、アコースティックでシンプルな音が見事に島の「ゆらぎ」を表現している。そして小林聡美光石研もたいまさこ市川実日子も各々まさに適役。中でも、もたいまさこの存在感が素晴らしい。どっしりとしつつ、軽やか。大きいのに、邪魔じゃない。何千年も大地を見続けてきた大きな「石」のような暖かさ、安心感を生み出している。


 この手の映画は「DVDになったら休日、昼からビールでも飲んでゆっくり見ようと思います」などと思われがちな映画だが、違うと思う。忙しいとき、何にせよつらいとき、ムリクリでも109分時間を作って、映画館で観てほしい。これは映画館でするべき「旅」だ。


■映画公式HP http://www.megane-movie.com/ 公開は9月22日、まだ1ヶ月以上あるが、おススメです!


■追記
一瞬だが特別出演的に薬師丸ひろ子が面白い役をやっている。その様子はぜひ映画館で確かめてほしいが、私は小林聡美と彼女のツーショットに不思議な、えもいわれぬ感慨を覚えた。80年代角川映画のアイドルであった薬師丸ひろ子大林宣彦映画アイコンのひとり、小林聡美。二人とも、見事に独自の世界を持つ「役者」になった。「花」から「実」へ、演技者として居並ぶ二人の姿は素敵に逞しく、綺麗だった。


●お知らせ
ブログランキングに登録。 どうか1日1クリック↓を。
http://blog.with2.net/link.php?198815
ご意見などはこちら→hakuo-a@hotmail.co.jp