大原麗子、死す

大原麗子

 孤独死、という言葉が嫌いだ。
 なんていうか……人生晩節を迎えて、「子供がいない」「一人暮らし」をしていることが「不幸」と決め付けられているようで、たまらない。
 老いも若きも、一人暮らしをしている人間なんてみな潜在的に「孤独死」予備軍じゃないか。例えそーなっちゃったとしたら、そりゃ「運が悪かった」とは思うけれど、他人が人の死を「孤独」だの「寂しい死」なんて勝手に決めつけちゃいけないと思っている。子供のいない人生を望み、ひとりで暮らすことの幸福を存分に謳歌して死ぬひともいるんだ。逆に「子供に看取られての大往生」とかも然り。本人いくつになろうが現世に未練タラタラかもしれないし、ね。
 とはいえ。
「死後2週間経過しているとみられる」という大原麗子の訃報は、ショックだった。


 このひとは、テレビ界で天下を一度取った人だ。
 映画の大女優がそのままテレビ界でも大きな存在感を示した、という人は何人かいる。けれど、テレビという世界の水を飲み、育ち、育てられ、大スターになった人は、この人が唯一にして絶後なんじゃないだろうか。
(テレビ界を席巻した、という印象では三田佳子もそうだけれど、この方は映画界のキャリアも長いので)
 なんたってドラマとCM、この2つで「大女優」になったのだ。これだけで偉業だと思う。
 特に後者、いうまでもなく市川崑監督によるウィスキーのCMは、彼女の一番の代表作じゃないだろうか。


 このDVDでは、そのCMがほぼすべて観られる。今年の春にとある仕事でこのDVDのレビューを書いたんですね。そのとき一連のシリーズを通してみて……いやー驚いた。単なる「CM集」じゃないんですね、ひとりの女の「愛の一代記」になっている。
 説明不要でしょうが、このCMは基本的に大原麗子のひとり芝居。男のことを思って、喜怒哀楽、様々な表情をみせるというもの。
 それがですねえ……シリーズで回を重ねるうち、段々とその関係が深まっていくというか、女が人間的成長をみせていくというか。最初に出会った頃の激しい恋、盛りの恋、深まる恋、そして愛へ……といった風情で、女のこころが変わっていく。恋人から、やがて家族のような関係へ変化していく。きちんとした連続性、ドラマ性があるからこそ、10年にもわたる人気シリーズになったのだ。もしこのDVDをご覧になる機会があったら、30秒バージョンだけを一度通してご覧下さい。一本の映画を観たような気持ちになると思う。長年イメージキャラクターをつとめる女優はいるけれど(メナードの岩下志麻とか、吉徳人形の森光子とか)、CMの中でドラマを生きた女優はほかにいない。そういう意味でも、幸せな女優だと思う。



 ドラマでは『忍ばずの女』という高峰秀子が脚本を書いたものが忘れられない。芸者のこしらえ(衣装・カツラのこと)がよく似合っていた。
 ワガママで、すねて、甘えて自己中心的で。そんな女をやらせたらピカイチだった。それなのに、女の人にも愛された。
 洋服も着物もどちらもすごく似合った。元・TBSの演出家、鴨下信一さんが著された『テレビで気になる女たち』(講談社 1985)という本に、興味深いエピソードが載っている。ちょっと長いけれどここに参照しておきたい。
 女優さんの衣装合わせというのは「難事業」である、という書き出しにはじまり、


まず彼女に合うサイズの既製服というのがほとんどない。チビをひっくり返したビッチというあだ名のとおりきゃしゃな体だから、浅丘ルリ子さんと彼女に合うのは子供服しかないんじゃないかといわれるくらいのものである。何軒しかない彼女に合うサイズのあるブティックのひとつに、なんと朝十時から出かける。(中略)覚悟はしていたけれどこれが長時間である。
 まず運び出されたドレスの量に驚倒した。この膨大な中から選ぶのか。ああでもないこうでもないといっているうちに何と昼である。まだ試着もしてないと思ったら泣きたくなった。いくらなんでもこちらは限界で、何か食べに行こうと水を向けても駄目である。(中略)ほとんどヤケになってビールなど飲んで時間を費やし、おそるおそるのぞいてみると、まだ真っ最中。(中略)いったい何度探り返したろうか、二十回の余はこえているに違いない。しかし終ってみて驚いた。
 すっかり彼女が変わっているのである。話しっぷりから、しぐさまで、もう役になりきっている。役のために選んだ衣装をとっかえひっかえ着ているうち、鏡の中に映るその姿を自分自身見ているうちに、彼女は<役になって>ゆくのである。これが大原麗子の役作り、まことに女らしいやり方ではないか


 その鏡はもう映す相手を失ってしまった。

 ご冥福をお祈りします。












○記録

時事通信ニュース7日>
6日午後7時すぎ、東京都世田谷区にある女優大原麗子さん(62)の自宅で、大原さんが死亡しているのが見つかった。警視庁成城署によると、2階寝室のベッドの上であおむけになっており、死後2週間以上が経過していた。病死とみられる。
 同署によると、3日、大原さんの弟が電話で「2週間ほど前から姉と連絡が取れない」と相談。同署員と弟が自宅を訪ねたが、鍵がなく入れなかった。6日午後6時半ごろ、弟が同署を再び訪問。同署員と共に自宅で遺体を発見した。
 大原さんは東京都出身。1964年、NHK「幸福試験」でデビューし、翌年に東映に入社。映画「孤独の賭け」「網走番外地」などに出演し、人気が出てくるとテレビドラマにも進出。日本テレビ系の「雑居時代」やNHKの「勝海舟」などに出演する一方、洋酒CMでの「すこし愛して、ながーく愛して」のせりふは流行語になった。
 その後も渥美清さん主演の映画「男はつらいよ」のマドンナ役や「おはん」「新・喜びも悲しみも幾年月」などで好演。89年にはNHK大河ドラマ春日局」で主演し、現代物も時代劇もこなせる女優として確固たる地位を築いた。91年に「男を金にする女」で舞台デビューを果たし、活動の軸を舞台に移した。
 私生活では、73年に俳優の渡瀬恒彦さんと結婚したが5年後に離婚。80年に歌手の森進一さんと再婚したが、84年に離婚した。近年は、筋肉を動かす神経に障害が出る難病ギラン・バレー症候群を患い、芸能活動から遠ざかっていた。 


<産経ニュース7日>
少し甘えたような表情に、ハスキーボイスが特徴的。「すこし愛して、なが〜く愛して」と語りかけるサントリーウイスキーのCMシリーズは、1977年から14年にわたってお茶の間を癒した。
 タレント好感度調査では76年以来、14度のトップを獲得。癒やしのヒロインと言われ、“かわいい女性”のイメージが定着したが、大原さんの信念はあの名言に凝縮されていた。
 「仕事は私の生き甲斐。“家庭は安らぎ”と分かっていても、私は仕事に入ると何もかも忘れてしまう。結局、私も男の立場で、家庭の中に男が2人いたっていうことだったと思います」
 84年6月18日、2度目の結婚相手だった森との離婚を発表。1人で会見に臨んだ大原さんは、そう言って胸を張った。実は、現在では当たり前となった“強い女”の先駆けだったのだ。
 大原さんは1964年に芸能界デビューし、高倉健主演の「網走番外地」シリーズや梅宮辰夫主演の「夜の青春シリーズ」などに出演。71年に東映から芸能プロダクション、渡辺企画移籍後はテレビドラマを中心に活躍。石井ふく子プロデューサー(82)の作品に多く出演したほか、89年にNHK大河ドラマ春日局」に主演し、大女優の仲間入りを果たした。タレントの明石家さんま(54)にものまねされ、バラエティー番組にも登場した。その一方、森と結婚後に出演した「セカンド・ラブ」では、東陽一監督と掛け合い、濡れ場シーンでのバストトップをカットさせ、芯の強い部分も垣間見せた。その根本にあったのは、不遇な少女時代の経験だった。
 東京・文京区の和菓子店に生まれたが、小学校高学年のときに両親が離婚。店は父親と従業員だった継母が継ぎ、大原さんは母親と家を出た。以来、実家に寄りつくことがなかったという。近所の住民は「弟のことをよく面倒見ていたが、どこか寂しそうな陰のある子供だった」と振り返る。


こちらもよろしく→「白央篤司の独酌日記

○お知らせ
ブログランキングに登録。 どうか1日1クリック↓を。
http://blog.with2.net/link.php?198815


○ご意見などはこちらまで→hakuoatsushi@gmail.com