主婦に愛された男・山城新伍

享年70歳



 ちょうど1年前、『女性セブン』にあの記事が載った。結構、衝撃的だった。
熟年離婚の哀切 山城新伍 独居マンションから失踪騒動 要介護認定に行きつくまで!
 この見出しと共に、力なさげな山城新伍の後姿の写真がトビラになっている。
 自宅周辺でもその姿がまったく見えず、知人の間でも連絡が取れなくなっていたことが分かり、騒動に。都内の病院に入院していたが、要介護状態となるも世話をする人がおらず、行政が間に入って施設に入った……ということを伝えた記事だった。
 

 昔、私が小学校4年ぐらいの頃。
 家に帰ってくると、母・フジエがテレビを見て笑っている。楽しそうだった。
「これ、面白いのよ」
 目を細める母に驚いた。
 基本的に愛想の悪い人で、あまり感情を露わにしない人だったから。何かを「いいな」って思っても、よっぽどじゃなければ口に出さない。そんな母がサラッと褒めたので、軽く驚いてテレビを見れば山城新伍が映っている。
 あの日以来、山城新伍は「すごく面白い人」というイメージが胸に植えつけられてしまった。


『新伍のお待ちどうさま』という番組は、1985年から5年続いた昼12時の帯番組。どんな内容かは忘れてしまったけれど、時事ネタに山城新伍がコメントを挟むようなものだったと思う。真昼なのに夜っぽい雰囲気の番組だった。
 同級生のお母さんがうちに遊びに来ていたとき、母と「いいともなんかより、断然面白いわよね」なんてお喋りをしていたことが思い出された。

 
 博識で、ヒネリがきいていて、ちょっと意地悪で、ちょっとエッチ。そういうトークがとても上手だった。
 基本的に「上から目線」なのだけれど、それがOKなキャリア、そして人徳(キャラ、と呼んでほしい。まあ往々にして『やり過ぎ』て、業界仲間から不興を買うことも多かったけれど)のある人だった。
 「女」を徹底的に「女」として扱う人だった。ゲストに、その頃の流行り言葉でいう「熟女」(こんな言葉は本来日本語にはない)を呼ぶんですね。まず、どこかしら褒める。そして基本「レディ」として下から接する。そういうスタイルが徹底していたことが、当時の30代後半以上の女の人に、とても好ましく映ったんじゃないだろうか。二枚目スター出身、というのも効いていたと思う。
 山城新伍は、世の中の主婦にすごく愛されていた。そのことを書き留めておきたかった。
 ご冥福をお祈りします。



■追記:今でもNHKアーカイブスで見られるけれど『少年』というドラマが忘れ難い。小川眞由美と別居だか離婚した夫婦を演じ、子供が精神的不安定になって家出する、というドラマだったと思う。この人ならではの特異な父親像(軽く不良っぽくていい加減なんだけれど、彼流に家族思い)をサラッと演じていて、とても良かった。合掌。



■余談:『新伍のお待ちどうさま』に関して。この番組中に「地下鉄ってどうやって地下に入れたんでしょう?」ネタでおなじみの春日三球・照代の照代さんが倒れたのはショッキングだった。クモ膜下出血でそのまま帰らぬ人となった。その場に居合わせた野際陽子さんにインタビューしたことがあるのだけれど、目の前で倒れられたのが衝撃的すぎて、以来しばらくの間ショックから抜けられなかったという。


■記録: やくざ映画やテレビのバラエティー番組の司会などで活躍した俳優の山城新伍(やましろ・しんご、本名渡辺安治=わたなべ・やすじ)さんが12日午後3時16分、誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため東京都町田市の特別養護老人ホームで死去した。70歳だった。京都市出身。葬儀は近親者で済ませた。
 1957年に東映ニューフェースの第4期生となり、60年、子供向けのテレビ時代劇「白馬童子」に主演、二枚目俳優として人気を得た。東映時代劇が低迷するとアクの強い個性派に路線変更し、「不良番長」シリーズ、「仁義なき戦い」シリーズなどのやくざ映画で存在感を示した。(2009/08/14-12:35 共同通信


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