やはり小言めくワタクシ

浜離宮



 東銀座で試写のあと、ぽっかり2時間空いたので浜離宮の恩賜庭園に行ってきた。
 元々徳川家のお屋敷、四代将軍(いきなり注釈入りますが、これ「よだい」ね。「よんだい」じゃないのだ)家綱の弟、松平(どうでもいいついでに、これも第一アクセントで呼んでほしい。「ま・つだいら」、ね。最近こーいうことにテキトーでいーかげんなドラマばかりで腹立たしいったらないのだ)綱重の別邸だったんだそうだ。
 と、ここまで書いて嫌になってくる。
「入ると芝の匂いがふわっと立って……」だの
オミナエシが咲き、ヒガンバナの小道が」
なーどと「超・いいひと」めいたブログを「これが私の本領」とばかりに書こうと思っていたのに、どうしてこんな小言めいたイントロになってしまうんだろう。
 いかんいかん! 折角日本庭園に触れて珍しく「詩情」なんつうものを感じているというのに。今日はこんな些細な日常雑記を書き留めさせてください。


 入場料、300円也。
 先に書いちゃいますが、ここ、さほど「ザッツ・日本庭園!」的な造形の美は感じられないんですね。いかにも最近の仕事、という感じの造園。昔からのものは、あらかた関東大震災と戦災で失われてしまったんだそう。
 けれども、東京でする贅沢のひとつは、前後左右けっこうな距離で人工建築がなーーーーーんにもない、という状態に身を置くことだと思う。
「中の御門」というところから入るとピャーッと芝生が開けて、大きな木がワサワサッと枝を伸ばしている。
 ああもう、これだけで嬉しいよ。草の匂いがしている。大きな漆の木が二枝ぐらいだけ、えっらい綺麗に染まっている。
「これが朱って色だぞ! 分かるか若いの!」
 そう大きな声でいわれているかのように、元気に紅い。歩くうちに潮の匂いもしてくる。


 
 

 彼岸花(ひがんばな)が列を成し、女郎花(おみなえし)が咲いている。
 「秋だなあ」なんて思った瞬間、私はまたひとり眉間にしわを寄せている。
前も書いたけれど、どーして花の名前ってカタカナで書かれちゃうんだろう? 漢字で書いたほうがよーーーっぽどいいじゃないか。こういう名前をつけた「いにしえびと」の感性を無視している。子供が日本語に触れるうち感じる「興味の目」「関心のツボ」というものを、大人が先回りして潰しているような気がしてならない。「ら致」とかいう表記もね。


 
 一面コスモスが咲いているところがあるんですね。
一眼レフだかなんだか知らないが、でっかいカメラ持ったオトーチャンが何人もド真剣な表情でファインダーをのぞいている。
「蜂とコスモス」
 なんてタイトルのベストショットを狙っていそう。熱中してるなあ、オトーチャン。なんだかホホエマシかった。
しかし……ああ、ここでも私はまた小言めく。


 こういう群生「させられている」花って、なーんかなあ。シラけちゃうなあ。もう「いきなり!」って感じで、何の芸もなく花がドーッと群生している。その隣になぜか龍舌蘭があり、そして萩。
 どれもこれも、
「いやーなんもしてないんですけど、こーんなにおっきくなっちゃたんですよう」
 といった風情のボウボウ繁茂。
 いや、いーんだけどさあ、日本庭園と最も相容れない感覚じゃないだろうか。所々に残る「日本庭園らしさ」(石垣、整然と植樹された松など)と、そぐわないことこの上ない。350年前にここを造った庭師たちが見たら、悔しいだろうなあ。無念だろうなあ。
「きちんとした日本庭園作り直す気はないんですけど、まぁいっちょ花でも植えておくか」
 そういうゾンザイでドンカンな「お役人センス」を感じて、なんだかワタクシはイラッとしてしまうのだ。


 まあ、花に罪はないのだけれど。


 そうそう、大手門のところに「三百年の松」というのがあって実に大きな、見事な松だった。魁偉、という単語がおのずと頭に浮かぶ。
 まつぼっくりから、こーんな大きな松になったのだ。何百回という台風も、大震災も空襲も知っているのだ。幹にすごーく触れてみたかった。幹に耳を当ててみたかった。が、当然サクが張り巡らされて近づけないのだった。

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