水の江滝子の訃報をきいて
もちろん「リアル」では、ほっとんど存じ上げない。
元・SKD(松竹歌劇団)伝説の「男装の麗人」。引退後は日活のプロデューサーとなり、ここでも「石原裕次郎を発掘した」という伝説をつくる。さらにテレビ時代になってはパーソナリティとしても活躍。よくNHKで「昭和テレビ史」みたいなVTRが出ると、『ゼスチャー』っていうんですか、柳家金語楼とのクイズ番組がよく流される。大人気番組だったんだそう。さらには蛇足だが……あの「三浦和義」との関係でも世間を賑わせた人だった。
水の江滝子。通称、ターキー。私にとっては以上のことを、「文字情報」として知っているぐらいの存在だった。
○中目黒育ち
「どんな人だったんだろう」
訃報を受けてにわかにそう思ったんですね。早速キネマ旬報社の『日本映画女優全集』をひいてみる。
ふーーん……。
まず本名が「三浦ウメ」というのに驚かされた。そりゃ94歳なんだもんなあ。大正4年生まれか。調べてみたらこの年、なんと「かっぽう着」が生まれた年だそう。なんとまあ。その前までは「たすき+前だれ」のいでたちだったわけですね。
そしてこのかた、「中目黒小学校卒業」というのにも驚く。オッシャレー。しかし当時の彼女の住所は
「東京府荏原郡目黒村大字下目黒村」
というのにも驚かされますが。
○芸名の由来
あと、不思議な芸名だなーと思っていたんですね。
なんでも万葉集は柿本人麻呂の
「あしかものさわぐ入江の水の江の 世に住みがたき我が身なりけり」
ここから取られたのだとか。昔の宝塚のひとがそういうことをするのは知っていたけれど、SKDもやっていたんですね。ひとつの流行なんだろうけれど。
ついでに調べてみたんですが、松竹歌劇団出身者って、私は小月冴子に草笛光子、そして倍賞千恵子・美津子姉妹ぐらいしか知らなかったが、『リンゴの唄』の並木路子、それに加藤治子さんも出身者なんですね。加藤さんが意外だが、確かにソプラノとか上手そうに思える。
うっすらと記憶に残っている唯一の「リアル・ターキー」といえば、テレビ朝日の「独占! 女の60分」、その司会だ。女優・宮城千賀子との2ショットの異様な迫力が忘れられない(こちらは宝塚だが、歌劇団コンビだったのですね。しかも男役同士)。この番組の降板が1987年ということだから……当時私は小学6年生か。
昭和62年。この年に石原裕次郎が死んで、次の年いっぱいで昭和が終わり、平成元年に美空ひばりが死ぬ。
今でも覚えているけれど、石原裕次郎が死んだとき、テレビはこぞって彼の古い映画を流した。今思えば、それらはターキーが製作した映画群だったのだ(『狂った果実』『俺は待ってるぜ』『赤い波止場』『霧笛が俺を呼んでいる』『銀座の恋の物語』など多数)。
そして昭和天皇が崩御したときにも、昭和の名画が相当量再放映され、美空ひばりが死んだときにも、彼女の映画が数多く再放映された。
私は随分とタイミングよく、昭和のシャワーをまとめて大量に浴びた。しかも小6から中学2年という、自由な時間が一番ある頃に。何かの因縁だと思う。
ご冥福をお祈りします。
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