桃色の帯揚げ

 両親の寝室にあるタンスを意味もなく開け閉めするのが好きだった。
閉めると上か下か忘れたが、違うのが開き、 それを閉めるとまた他のが開く。
そんな単純なことが無性におかしく、 いつまでも開いては閉じ、開けては閉めていた。
 その頃住んでいた仙台の家は一軒家で、お気に入りのタンスがある部屋からは
向かいの大きな梅の木がよく見えた。
窓の縁に腰をおろし、木に止まる虫や鳥を飽くでもなく、
ずっと眺めていたあの日は十歳にもならない頃だったか。

 いつもその部屋で、一人何をするわけでもなく
外ばっかりボーっと見ている子供が歯がゆかったのかもしれない。
母はよくいきなり飛び込んできては、空想にふけっている私に
「子供なら外で遊んでらっしゃい!」といって
腕を掴みおもてに連れ出すのだった。
子供なりにその時間を楽しんでいた私は、心外だった。
そして、唐突に鍵のある部屋に憧れた。


「そしたら、邪魔されず好きなだけその部屋にいられるのに」


 後先のことなど考えず、
またそんなことが出来るわけもないのに、
どうしたら「母が入って来れなくなるか」ということに専心してしまった。
「何か縄みたいなものでドアの取っ手を縛ろう」
私はすぐに、遊び相手であるタンスの中に、長いものが入っているのを思い出した。
 桃色の綺麗な母の帯揚げがあったのだ。 私はそれを意気揚々と固く取っ手に縛りつけ、
片方をタンスの一番下の取っ手に結び、まるで完全な密室を作り上げたかのような
達成感にひたりながら、何をするでもなく過ごしていた。


突然、聞いたこともないような大きな音がした。


 驚いてドアを見ると、僅かな隙間から母の顔が見える。
今まで見たこともないような、恐ろしい顔。
「なにやってるの! 開けなさい!」
 腰の力が抜けた。動けなかった。 ますます母の声は荒々しくなっていく。
「いい加減にしなさい! 怒るわよ!」
 もう充分怒っているじゃないのとへらず口を叩ける年ではなかった。
力まかせにドアを引く力がタンスに響く。
遊び相手のタンスが急に怪物のように見えた。
まさか、母の力でタンスが動こうはずもないのだが、
そのときは本当にタンスが揺れている様に見えた。タンスが怒り狂っているお化けのようだった。
なすすべもなく私は泣きじゃくるばかりで、それがまた母の怒りに火を注いでいた。


 涙をこらえ一生懸命帯揚げの結び目を解こうとしたが、
開けようとした力でますます固く縛られ、 子供の手に負えるものではなかった。
母は諦めたのか挟い隙間から鋏を差し出し、切るように指示をする。
絹の糸はさすがに丈夫で、三度、四度力を込めて切らねば
二つに別れてくれなかった。そして、ドアは開いた。
「もうおしまいだ」
 私は絶望にくれてビンタされるんだと思いながらうつむいていた。
「往復は確実だ」 そう思うと涙が幾度となく頬をつたった。
 しかし、母の平手はいつまでも飛んでこなかった。 恐る恐る見れば、 母は床に落ちた帯揚げを持ってしゃがんでいる。
見たことのない母の表情がそこにあった。 しばらくすると、
「――もう、こんなことするんじゃないのよ」
 そうとだけ、母は言って去った。
 泣いていたときよりも、悲しい気持ちになった。そんな感情があるのだと知ったのは、
このときが初めてだったかもしれない。 思えばその帯揚げを母が締めていた姿を見たことがない。
桃色のそれは、当時の母の年でも派手なものだったのだ。
 いつ、母はその帯揚げを締めたのだろう。 嫁入り道具だったのだろうか。
結婚式で締めたものだったのだろうか。


 今でもふと、着物など見ると思い出すことがある。 ちぎれた帯揚げを見つめながら、
大事そうに 絞りの部分に手をかけていた母の姿が。