納得がいかない。ものすごい違和感。私がバカなのだろうか。
なにをいちびってるかというと、とっくに公開されている映画
メゾン・ド・ヒミコ』に関することだ。
やたら評判がいいのですよ。信頼してる批評家も
周囲のシニカルな友人たちも褒めちゃったりして。なんかすっごく焦燥感。
なぜならまったく私はこの映画にのれなかった。というか、ハッキリ言って
駄作だと思う。その理由は2点。


まずひとつに、劇中突如ダンスシーンとなる場面(結構長い)があるのだが、
そこからは私が感じるのはスタッフ、キャスト両方の 「照れ」だ。
「本当にこのシーン必要?」 「このダンスイケてないんちゃう?」
みたいな内心のクエスチョンが出まくり。
もしこのダンスシーンを 「カッコイイ!」と真剣に作り手が思ってるとしたら
最低のセンスというほかないと思う。MGMミュージカルとか見たことあるか?
「ウェストサイドストーリー」とか見たか? ブロードウェイとか知ってるか?
もしかしてもしかすると、高尚に「いかがわしいものが持つ
爆発的な破壊力」 とか狙ってるんだったら
さらに問いたい。おめえニューハーフのショータイム見たことあんのか?
六本木「金魚」とかのショーパブ行ったことあんのか?
大衆演劇のフィナーレとか知ってるか?
頼むから見てるほうが恥ずかしくなるシーン撮るのだけはやめて頂きたい。
やるからには絶対の自信をもってほしい。
見ていてこっちが照れてしまうものというのは
言い切ってもいいが絶対に表現者に絶対の自信の無いときである。
そういうものを、出してはいけない。


フランソワ・オゾン監督の「焼け石に水」
突如として入るダンスシーンには
スタッフ・キャスト共に「このシーンは絶対必要」という
気概が感じられる。「真剣に」(ここ大事ね)ふざけてる。
「ヘドウィグ&アングリーインチ」
大きい悲しみや喜びを緻密に丹念に描いて、
「ミュージカル」って手法を逆手にとるかのような、
歌やダンスシーン自体がまったく自然なドラマとすら感じられた。


だけど、これはないんじゃない?


そしてもうひとつ。私が許せないのはこの一点のみと言ってもいい。
ずっとゲイとして生きてきたオダギリジョー演じる男が、
柴咲コウ演ずる女の子のちょっとピュア(古)な感情を目のあたりにして、
思わずキスして、SEXしたくなるというシーンがあるんだけど、


「たった一瞬で自分のセクシュアリティが揺らぐ」


ことなんて、めったにあるもんじゃないだろう。
逆に考えてみると、「同性」と肉体的なつながりを
持ちたいなんてこと、衝動的にせよ真剣に考えたことなんてみなさんそうそうありますか?
ゲイならば女性と「キスしたい!」と思ったことありますか?
何故そこまで心が揺れたか。 何故、そんなエモーショナルな出来事が、
自分の精神に起きて爆発し、行動したかっていう
「経過」と「理由」をきっちりフィルムに収める事が
「映画づくり」のミソなんじゃないか!?
大きく出ればそれこそが「芸術活動」なんじゃねーのか!?
そこ全部すっとばして、いきなりキスし合ってるシーンに行くなんて
「芸」がなさ過ぎるってもんだろう。


だいぶ観てから時間が経ってるが、まだ語調が乱れてしまう。
それってある意味…名画なのかもしれないけれど。
はい、思いっきり皮肉ですけどね。