南美江さん、逝く

 三島由紀夫の戯曲『サド公爵夫人』を読んだことのある方ならお分かりだろうが、とてつもない長台詞の連続だ。
 ちょっと手元にないので確かめられないが、ぎっちりと字の詰まった古い文庫本で2ページ超なんてのもあったような気がする。
 それらのセリフはいわば「歌いセリフ」で、三島的な流麗なる修辞に彩られ、かつ独得の倒置が随所に存在する。それでいて内容的な暗喩がそこかしこに秘められ、ただ覚え歌い上げるだけではセリフとしての意味を成さない。
 覚えて体に入れ、そこから意味するものをとらえてセリフの「メロディ」に感情と理由を含ませ、また最終的に「歌」に仕上げなければ、戯曲として成立しない。三島戯曲の難しさというのはそこにあり、またそこが美質でもある。

「(セリフを完璧に覚えていればセリフの順序をたとえ間違えても、その場で意図するものを補って芝居できるが)それができない時は、もう全然だめ(笑)。稽古の時はもう全員、絶句大会(笑)。モントルイユ夫人役の南美江さんは覚えてらしたけど」

 1983年にこの戯曲の主役、ルネを演じた坂東玉三郎の言葉だ(『玉三郎・舞台の夢』新書館)。あの膨大なセリフを稽古初日に完璧に入れてくる。いきなり台本を持たずに、立てる。それが女優、南美江
 はは、あははは……。なんというかもう、「おみそれしました」ってな気分になりますね。でも南さん、サラッと「あら、それが本来は当たり前なのよ」とあの穏やかな声で仰ってくれそうな。もし本当にそう仰ったとしても、嫌味に聞こえないんじゃないかと思う。きれいな気持ちでまっすぐに、プロ意識というものを体現されているエピソードに思えてならない。
(これは蛇足だけれど、もしも南さんが「みなさんまーだセリフも覚えられてないの?」的雰囲気をかもす人だとしたら、坂東玉三郎がその後何度も自身の公演で南さんを起用するとは到底思えない。南さんは玉三郎の『天守物語』の舞台、映画版どちらにも出演されている)
 映画やドラマでもおなじみだけれど、新劇の名女優だった。もともと宝塚出身で、美空暁子という名前で男役だったという。その後新劇に入り、記録をみると『バージニアウルフなんてこわくない』のマーサ役で芸術祭奨励賞を受賞。宝塚も意外だったが、この役が好評というのも正直ビックリ!
 南美江さんというと、潔癖で上品で少し神経質そうで……宮家(みやけ)の教育係なんてピッタリなイメージを私は持っていた。あの「サノバビッチ!」「ガッデム」を連発するマーサの役なんて想像もできない。観てみたかった。あ、付け加えると南さんはあの『ガラスの仮面』の月影先生も演じられているのだ! これまた演出・坂東玉三郎。ちなみにこのときのマヤは大竹しのぶ。これまた、観たかった……。
 
 なんというか、「居ずまい」のきれいな、きれいな方だった。品があって、誇りが感じられて。
 
 心から、ご冥福をお祈りします。

【記録・8月8日サンスポニュースより】
1988年放送のNHK連続テレビ小説ノンちゃんの夢」などの祖母役で活躍した女優、南美江(みなみよしえ=本名・南波房江)さんが6日午前4時、肺炎のため横浜市内の病院で死去したことが7日、分かった。94歳だった。
 広島県出身の南さんは横浜市で幼少時代を過ごし、高等女学校を卒業後、宝塚歌劇団に入団。美空暁子の芸名で男役として活躍したが、戦時下で華やかさを失った歌劇団を41年に退団した。
 文学座で新劇女優として再出発し、44年に南美江の芸名で初舞台。51年のラジオドラマ「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」で全国区となり、64年の舞台「バージニア・ウルフなんかこわくない」で芸術祭奨励賞を受賞した。
 75年には、故芥川比呂志さんらと「演劇集団 円」を創立し、舞台、テレビ、映画などで活躍。晩年は優しく上品で、気丈な祖母役でお茶の間に親しまれ、88年には勲四等瑞宝章を受章した。
 葬儀告別式は9日午前11時から東京・江古田斎場で営まれ、喪主はおいの打木宏さんが務める。