『女優ジャンヌ・モロー 型破りの聖像』
- 作者: マリアンヌグレイ,Marianne Gray,小沢瑞穂
- 出版社/メーカー: 日之出出版
- 発売日: 1998/12
- メディア: 単行本
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ホントになんでまあこんな面白い本をとっとと読まなかったのか。
フランスが世界に誇る大女優、ジャンヌ・モローの名言がこれでもかと詰まった一冊です。マリアンヌ・グレイというひとが綿密な取材をほどこし著したこの一冊。ジャンヌからの信頼も厚いようで、その肉声がふんだんに盛り込まれています。主要な作品に関してジャンヌ自身のコメントがたっぷり詰まっているのも嬉しく。
私、読んでいる間
「いったいフセンが何枚あったら足りるんだーーーーーーっ!?」
そう叫んでました松見坂の小さなアパートで。まあ金言至言がてんこ盛り。「日めくりカレンダー・ジャンヌのお言葉」ってのがマジで作れそうな勢いです。
「これは忘れたくない」
「ここは終生の訓戒としたい」
そんな発言の数々を、ブログにメモしてみましょう。
(発言の上の数字は、ページ数です)
32
父は私にレストランの持ち主と結婚させたかったのよ。そうなったら(略)その男を殺して刑務所に入るはめになっていたかもしれないわ!
間違いなくそうでしょうとも。私は「大女優」というものの定義のひとつは、「神が潜在的な大犯罪者を未然にふせぐことのできた稀有な例」だと思っています。
45
役者にとって必要なのは、包み込まれる意識、役柄への無意識の精通、それだけよ。その役の実体験を追及するのは、無意味なことだわ。一週間で本当にそれを理解できると思うなんて馬鹿げたことよ。人が『俳優業』なんて言ってるのを聞くと、ぞっとするの。『あなたは本物のプロだ』と言われるのは、もう最悪ね。
この金言、俳優論とマスコミに対する風刺と2段に分かれていますが、どちらも正鵠を射ていますね。彼女の言葉でいえば「俳優業」「本物のプロ」なんてことを軽々しく口に出来る人は、極限られた役柄しかできないと告白しているようなもの。役者は「隣のお姉さん」でも、「太陽の役」でも、演じるにあたっては同質に感じ、また同様の気持ちでのぞめることが基本スタートラインなのですから。
54
あのころは、心が休まるときはなかったの。自分が美しくないことをいやというほど知っていたから。私の容姿のことを褒めてくれようとする人たちは、『あなたを見るとベティ・デイヴィスを思い出す』と言うの。とても親切で、本当に素晴らしいことよ。ただ、私がベティ・デイヴィスに我慢がならないだけ。
これは一種の「意気地」ですね。ベティ・デイヴィスという役者自身を本気で嫌っていたのではなく、比較されることへの「張りと意気地」だと思います。ジャンヌは日本に生まれていたらすごい名妓になっていたと思う。一流芸者のそれを感じますね。泉鏡花の『日本橋』のお孝なんてよかったろうな。
64
彼女は嵐を呼ぶ女だと確信した。(略)彼女のすごいところは、言うまでもなく、ほんの数秒で表情を変えられるところだ。(ルイ・マル)
「世界三大『まる』」といえば言うまでもなく「ルイ・マル」「おーい! はに丸」「伊賀野カバ丸」ですが(冗談ですよ怒っちゃいけませんファンの方)、我らが日本が誇る「嵐を呼ぶ男」の相手はパリにいたのですね。と、冒頭のネタが書きたかっただけでした。ルイ・マル、そんなとこ褒めるなんて凡庸。
90
彼女は役を完全に「取り込んで」しまう。(マルグリット・デュラス)
なんかわかりますね、この表現。日本だと「役を完全に『おろして』しまう」憑依系女優の白石加代子さんなんかがおりますけれども。
90
まばたき一つにいたるまで役との間にテレパシーのような関係を結んでいる。(ピーター・ブルック)
演劇界の巨人、ピーター・ブルックまでもが彼女の信奉者。大学時代、彼の『秘密は何もない』を読んで感動したなあ。
105
彼女は一緒に仕事をしたことのある監督たちを色にたとえ、ロージーを「黒と白」になぞらえた(トリュフォーは「ブルーかグリーン」、アントニオーニは「黄色」、オーソン・ウェルズは「赤」、ルイス・ブニュエルは「紫」)。
もうこれ感覚なんですが、なんかすっごく納得。日本の古い監督でも、白黒映画とて小津、成瀬、溝口で全員「色の感触」違いますもんね。小津の白は白磁、黒は繻子のような風合。成瀬はセピア。溝口は象牙と烏の濡羽。
106
監督は、女優のことをいろいろ知っていて、とてもよく見ているわ。彼女の中に隠された人格の源を理解しなければならないのよ。優れた監督なら、女優を最大限に生かそうとするはずよ。女優に魅了されれば、必然的に一種の“恋愛”関係が生まれるものよ。
これ、ちょっと語調に投げやりな感じがして好きなんですね。訊かれてるとき早く終らせたかったんだと思います。
115
(『大列車作戦』でバート・ランカスターからジョン・フランケンハイマーの交替劇に際して)
彼は、灰皿一つ持ち上げるための動機づけを一時間も議論するのよ。『さっさとその灰皿を持ち上げて、おだまり』って言いたくもなるわよ。いらいらさせられたわ。メソッド方式による集中の仕方は、私のやり方とは全然ちがうのよ。一度、ニューヨークのアクターズ・スタジオにその練習方法を見にいったことがあるけど、ぞっとして出てきちゃった。演技をするのに知性なんて必要ないの。考えることなんて、あらかじめできることでしょう。現場に来たら、そこで動くだけのことよ。
これ、アクターズ・スタジオ出身のポール・ニューマンが『熱いトタン屋根の猫』でエリザベス・テイラーと共演したときに、まったく逆のアングルから思ったことが何かに書いてあって興味深かったなあ。リハでは全然気持ちを込めないリズに怒ったポールだけれど、本番で見違えるような役の心と情感を漂わせるリズに驚倒。映画から「子飼い」のスターと舞台育ちの自分の違いをまざまざと感じたんだとか。あ、それからこういう話って片一方の話だけ聞いてわかったような気持ちになっちゃいけませんね。バート・ランカスターも相当な言い分ありそうだし。
131
(ブニュエルは)彼女にぜひ出てもらいたいと感じた。彼女が素晴らしい女優だったからだけではなく、彼女の歩き方が大いに気に入ったからだ。
“ジャンヌが歩くの見ると心ときめいた。歩くとき彼女の足はハイヒールの上でちょっぴり震える。それが緊張と不安定さを伝えるのだ”
この細かい演技、ちょっと記憶にないんですが、歩き方の最も美しい女優のひとりというのは納得。
155
バルドーはモローについて
「ジャンヌは女優、私は一世を風靡する現象」
モローはバルドーについて
「ブリジットはチャンピオン、私はチャレンジャー」バルドー
「女には二種類あると思うの。女の弱点をすべて持ち合わせた女らしい女と、自由で自然で男みたいな性格の女。私もジャンヌも後のほうのタイプよ」
結構凡庸なたとえだと思うのですが、バルドーの「私は一世を風靡する現象」という言葉がなんだかおかしくてメモ。「芝居じゃないのよ、私は」といってるようでね。
167
私にとって人生とは何かをするために与えられたもの。
これ、人生の訓戒にしようと思いました。私はなんにもまだできていない。せっかく父母が与えてくれたのに。
できるかな……。
216
年齢は愛情から私を守ってくれないけど、愛情は私を年齢から守ってくれるわ。
こういうキャッチーなセリフ、お得意なんですね、ジャンヌ。
222
(カンヌ映画祭)モローはバーグマン、ソフィア・ローレン、ミシェル・モルガン、オリヴィア・デ・ハヴィランドにつづく五人目の女性審査委員長だった。
みんなをまとめるとか出来るのかって感じのメンツですが、実際はどうだったんでしょう。
322
私の歳になると、いろんなことが見えてくるの。私の周りで地球も歳をとっていくのが見える。かつての若木が大木に育ったり。すべてが統合されているのを感じるわ。
すごい哲学観!
328
愛の本質は、情緒、欲求、誘惑、魅惑、所有なのよ。
どれかひとつでも極めて死にたいものです。
以上、ジャンヌ名言集でした。