高峰秀子さん、中村富十郎さん、逝く

 人間は平均して、どの程度の「欲」を持っているものだろう。煩悩は108つらしいけれど、欲はどのくらいのもんだろうか。
 人間、本ッ当に優先している欲って、実は3つぐらいが限度じゃないかなあ、と思う。
 恋愛ってのは欲のなかでも複雑だろう。孤独忌避欲、的に恋愛をし続けるようなひともある。この場合、寂しそうと思われたくないという、ある種の名誉欲が優先している人もいる。またこの名誉欲を結婚に発展させるひともある。
 金銭欲から人生の仕事を選ぶひともある。そんなことを考えると、性欲なんてさほど大きな欲には思えなくなってくる。

 私の場合は、もっともひどいのが食欲、というよりも「まずいものを食べたくない欲」だ。「おいしいものを食べたい欲」とは微妙に違う。「おいしい、とはいえないけれど不思議にクセになるよね」的な味わいもあるし、「苦すぎる一歩手前の味」、みたいな味もある。私はただ、絶対に食事をはずしたくないのだ。これだけは悲願というか、妄執に近い。ごはんを失敗すると、寿命を1日けずられたような思いになる。

 この食の欲の次に、「感想発露欲」というのがあるんです。最近、私というイキモノはこの2つの欲だけを大事にしていれば、さして不満なく安穏に生きられる、ということがよーやく分かった。自分が35歳にしてやっとクリアになりました。そしてこの2つを仕事に活かすしかないのだ、という覚悟もできた。
 で。この感想発露欲がツイッターでかなーり発散できちゃってるんですね、最近。なので随分とブログはご無沙汰してしまった。
 これからは「今月のまとめ」として、ツイッターでつぶやいたことを中心にその月思ったこと、考えたことをブログにまとめてみたい。
 今後、これを習慣づけられるように頑張ろうとおもいます。


高峰秀子、逝く

 なんか弔問ブログみたいになるのが嫌で、なかなか書く気になれなかった。
 去年から、心のなかで大事にしている人が次々と亡くなられている。そのおひとり、高峰秀子さん。12月28日、死去。八十六歳だった。

 もちろんリアルタイムで知ろうはずもないんですが、今はなき銀座の名画座並木座で最初に観た彼女の映画はなんだったかなあ。最初、声に驚いたのを強烈に覚えている。写真から想像した彼女の声はかわいらしいイメージだったが、まったく違う質の声だった。
 そういう役が多かったから、というのはもちろんだけれど、彼女の声は、ひとことでいうと「ひねくれた声」だと思う。
 拗ねたような声。心がひりひりしているような声。乾いた声。哀しい声。生きるうちに心が擦り切れてしまったような声。
 そういう女を演じたらバツグンだ。
 映画演技、というものにハッとさせられた数少ない瞬間のうち、2つは彼女の演技によるものだ(余談だが、このひとには「芝居」という言葉は似合わない)。
 ひとつは成瀬巳喜男の『放浪記』。森光子の芝居で有名なあれだ。このなかで彼女が情夫の宝田明を追い出すシーンが実に素晴らしい。つまらない書き方だけれど、感情の決壊、ということをこんなに鮮やかに演じたシーンは少ないと思う。
 そしてもうひとつが『華岡青洲の妻』、この於継が傑出している。青洲に市川雷蔵、その妻に若尾文子という素晴らしいキャスティング。
 姑の意地というものを執拗に、「ねぶる」ようにように演じる高峰秀子の凄みにはゾッとした。妻に対して強烈な啖呵を切るシーンがある。日本語において啖呵を「切る」という意味がよく分かる。すごい切れ味のある、言葉の威力というものを感じさせられる。そのシーン、怒鳴るわけでもなんでもなく、静かに言い切るだけなんですね。刃(やいば)というものを口から出せたら役者もたいしたものだ。

 そして彼女のエッセイは随分長いこと愛読してきた。折々で読み返している。昔、絶版だった『私の渡世日記』を古本屋でみつけたときは嬉しかったなあ。


 高峰さんは、こんなことを書かれている。

「夫がさきに死んだら、彼が生前愛した李朝の壺にお骨を押し込んで、いつも私のそばへ置いておくつもりだ。骨が入り切れなかったら、もよりの引き出しの中でも入れて置く。暗く、冷たい土の中へ埋め込んでしまう気は絶対にない」高峰秀子の言葉。『いっぴきの虫』(1978刊)より。

 そしてご主人の松山善三さんは、こんなことを書かれている。


「愛は山彦のようなもので、自ら発しなければ返ってはこないし、ぶつかり合わなければ、いたわりの溝を深めることはできない」 松山善三の言葉。『いっぴきの虫』(1978刊)より。

 素敵なご夫婦だったんだな。

 3月には池袋、新・文芸坐で追悼特集がある。通おうと思う。


放浪記 [DVD]

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華岡青洲の妻 [DVD]

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 増村保造監督は、高峰にはどんなふうに接していたんだろう?




中村富十郎


 そして天王寺屋の急逝。
 
 驚いた……。そりゃご高齢だろうが、まだまだ先のことだと思っていたから。
 私はこのひとの口上が好きだった。頭も口もよく回り過ぎるというのか、それこそ立て板の水も滝の如く、勢いよく思いが溢れてくる。それでいて弁舌さわやか、微塵もよどみなし。しかし話が止まらなくなっちゃう感じなんですね。どんどん話題広がっちゃって、いかにして〆るのか、とこっちが思ったぐらいに「まあそんな思い出は尽きませんが」とか何とか突如にして絶妙の間合いで「隅から隅までずずずぃいとぉ」とくる。ここで思わず「天王寺屋ッ」と大向こうが入るんだが、それはもう聞けないのだ。
 決定的に忘れられないのは坂田藤十郎、当時の鴈治郎とやった『河庄』。名人二人の芸の華が舞台で咲き誇っていた。平成何年だったかなあ。「すごいものを観させてもらってる」と本番中ゾクゾクした。しびれるようなこわいような。そういう感触ってこれと、孝夫最後の『かさね』以来ない。
 芝翫さんが「いい意味で器用な役者さんでした」と仰っておられたのが印象的。
 

 なんてことを訃報を聞いた当日、ツイートしてました。この日記を書いているのは2月17日なんだけど、雑誌『演劇界』にはガッカリ。富十郎追悼特集が非常にうすくて、ボリュームがなくて、かなしかった。ボリュームうんぬんではない。書き手、作り手の故人に対する愛情がからきしないのだ。有名どこが亡くなったから一応追悼記事作りましたという感じが濃厚に漂う。ひどい雑誌になった。廃刊にしてくれたほうがいっそよっぽどいい。

 しかし最近の歌舞伎は波乱ずくめというかなんというか。海老蔵騒動から天王寺屋の急逝、片岡愛之助の休演、中村勘三郎が倒れまさかの2月演舞場、3月博多座キャンセル……松竹の方はさぞかしテンテコマイだったことだろう。