中村勘三郎さんの急逝


 あの朝は誰しも、「嘘だ………」という言葉以外、出てこなかったんじゃないだろうか。
 なんと悪い冗談か。でも、ニュース速報が嘘をつくわけないもの、なあ……外国でエイプリルフールなら、かなりドギツイ冗談もマスコミはやるけれど、日本だものなあ……。
 テレビを見ながら詳細を知りたいという気持ちと、知りたくない気持ちがぶつかりあって仕方なく、動揺した。「あーあ……」という変な声をひとり、上げた。

○忘れえぬ「加賀見山」お初の憤怒

 努力のあとを感じさせないのが天才、だと私は思っている。たまたま歌ってみたら、踊ってみたら、弾いてみたら、こう出来ちゃった……観るものにそう思わせられるのが、天才の芸だと思っている。そのひとつの例が、このひとだった。

 と、書きつつ……私はそれほど、熱心なファンではなかった。いいときもあるし、「嫌だなあ、投げてるなあ」と腹立たしく思ったことも、少なくなかった。ただ、いいときの深さは尋常ではなく、おそろしい程だった。私が歌舞伎というものの魅力に引きずり込まれたひとつの原因は、この人だ。
 勘九郎時代、『加賀見山旧錦絵』のお初をつとめられた。尾上が玉三郎、岩藤が仁左衛門。あれはいつだったか…15年前ぐらいだろうか。
「おのれ岩藤」と怒りにその体を打ちふるわせ、仇を討らんと決意するその瞬間、歌舞伎座の大舞台が揺れたように思えた。可憐な腰元の体の内に無念と悔恨がはち切れんばかりになり、何かが決壊して怪獣のようにムクムクと大きくなっていくようにも見えたほどだ。「憤怒」という情感があれほど鮮やかに舞台上でバイブレーションをもって放出されたのは後にも先にも接したことがない。
 そのあとの奥庭での立ちまわり、歌舞伎座全体を包んだ興奮は忘れられない。あれほどまでの熱狂、個人芸としての役者の芸によって湧き起った演劇的熱狂を感じられたのは、このときと「さよなら孝夫」の孝夫・玉三郎の『かさね』しかない。

○絶品の戸浪、アンサンブルの妙

 それ以降、近年で最も印象的だったのは「さよなら歌舞伎座公演」の『寺子屋』の戸浪。本当に素晴らしかった。ちょうど当時の勘太郎さんがそのちょっと前に戸浪をやって、源蔵が海老蔵だった。それが…悪いけれど、どうしようもなかった。やることをこなすだけで精いっぱいという感じで、芝居以前の出来であった。そしてこの役、介助が多くて大変なんだなあ、とも気づかされた。
 勘三郎さんの戸浪は、ひとことで言うなら「女の日常と歴史」が見えてくる凄さがあった。毎日、こんなふうに家人の世話をしているんだなあ、という暮らしが見えてくるような。そして品格があって、つつましさがあって、登場人物全員に対する心の反映が細やかにあって…「女形芸」というもののひとつ極致とすら思った。立役に対する気遣いのなんという見事さ…松王の幸四郎、千代の玉三郎、源蔵の仁左衛門、大顔合わせの中で互いに芸のぶつかり合いがありながらも、それを刺激として、また共演できる喜びとして、舞台で「お役」を勤めている…それがひしひしと伝わってくる。このメンバーのひとりであれる喜びが、じんじんと伝わってくる!
 ああ…役者だなあ、役者だなあ……私は興奮した。そして物語に引き込まれ、涙した。舞台の上の芝居人の心と芸の燃焼は私の肌に身にじかに伝わってきて、体が、目頭が、熱くなった。そういう舞台経験を一度でも出来れば、まさに重畳というものだと思う。

 その芸のすべてが、荼毘に付されてしまった。

○後悔

 いまの座頭役者として、團十郎菊五郎吉右衛門幸四郎仁左衛門玉三郎
 数えてみてあらためて…何かゾッとするような気持ち。毎月「大歌舞伎」という興行を組めて、御曹司もまず小さい役からキャスティングされ、主役の芸、他家の芸を観ることが出来た幸福な時代は、過ぎ去った。先の勘三郎さんの戸浪はそういう時代に培えたものなんだろう。
 中村座もいいけれど、あそこには中村屋のファンしか、いない(当たり前だが)。どっぷりファンの中で育ってしまった役者は、絶対にうまくならない。中村座は確かに面白いけれど、あの…きつい言葉だけれど「ぬるい空気」が、私は嫌だった。だから、近寄らなかった。
「やりたいことにトライするのもいいし、自分達だけでお客を呼べるのも凄いと思うけれど、大顔合わせで、本当の歌舞伎の凄さ、みせてよ勘三郎さん!」
 生意気にもそんな風に思って離れていたら、もう観られなくなってしまった。バカだなあ……。

 最後だからといって心のなかを綺麗に装うのではなく、思っていたことをきちんと書き留めておきたかった。
「神様に愛されているひと」だと思っていたし、事実そうだったと思う。その愛にこたえるべく苦労と努力をきっちりとこなされた。そしてなおかつ、あの「華」は……すごかったですね。ほんとにね。
 誰のお三輪だったか…勘三郎さんが「豆腐買おむら」をやったとき、現れた瞬間…あの暗く切ない情趣に満ちていた舞台がパーッと晴れやかになって、それこそ雲間から光が差したようだったのが忘れられない。お客さんがまあ喜んだこと…見事だった。日本の現代芸能史の中で、最もハッピーな笑顔を持っていたのはこのひとと、植木等渥美清だと思う。
 
 尽きない。
 誰しも、そうだろう。きょうもまたどこかで芝居好きが勘三郎さんの思い出話を、酒場で、茶飲み場で、しているんだと思う。ようやくあれこれを書いておこうという気持ちになった。

 勘三郎さん、ありがとうございました。