―袴田巌事件―

花言葉は「無罪」



 「あちゃあ……」
 そんな言葉しか、出てこない。ある老人の告白を聞いて、ただ私は呆然としてしまった。空虚というか、虚無というか……なんとも辛苦に満ちた人間の声を、昨日のテレビは流していた。「報道ステーション」(テレ朝系列)で特集されていた「袴田巌事件」。私はこのことを今回初めて知った。41年前、1966年に起こった一家4人放火・殺人事件の犯人として捕らえられた袴田巌――彼は最高裁で、すでに死刑が確定している。

 しかし。


 そのとき、彼を裁いた地裁の判事が告白したのだ。

「私は……結審のとき、彼を無罪だと思っていたのです」

 結審のとき。41年前に時代はさかのぼる。

 冷房もない盛夏のさなか、ときに16時間にも及ぶ取調べが連日行われたという。「袴田は犯人に違いない」そう思う刑事が詰め寄ったな中での、「自白」。
 今回告白した判事は、自白の強要性、その疑わしさ、状況証拠の弱さをそのときから感じていた。有罪結審に異論を唱えたが、多数決で彼は有罪になってしまう。

「以来41年間、親のことを思い出さない日はあっても、彼のことを忘れた日はない。判決を聞いたときの、そのカクンとした顔を!」

 ニュースレポーターは、このあと彼に問うた。

「今、もし彼に会ったらなんと声をかけますか」

 せきを切ったように、彼は泣き崩れた。嗚咽、というのはこういう声なのか――声にならない声が吐瀉物のようにこぼれてくる。元判事は、顔を覆って苦しんでいた。あまりにも悲痛だった。
 実際、袴田氏が冤罪なのか有罪なのかは知る由もない。しかし、多数決であったにせよ、判事自身の信念にもとる判決が出てしまったのは事実なのだ。そして、その刑はこともあろうに極刑だった。判決後7ヶ月経って、判事は辞職願を出した。その後41年間、袴田氏は死刑囚として投獄され、判事は懊悩のうちに生きた。
 袴田氏は、どういうわけかずっと死刑執行されないままに今に至り、現在は精神に異変をきたしているという。なんという事実だ。なんという現実だ! 


 平成21年度までには、死刑制度も存続のまま裁判員制度がはじまる。


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