「女優」という看板から次は

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 困った。
 思えば私は……以前から「松居一代」が「女優」と名乗るのが、どーにもむずがゆかった。
「どーでもいいじゃん!」
 そういわれるのは百も承知だけれど、彼女がテレビに出て「女優の松居一代さんでーす」などと紹介されるたび、自分でも子供じみてるなあと思いつつ「羊頭狗肉!」「used to be ってつけて!」と苦虫噛み潰したような思いに駆られていた。
 女優と紹介されつつも、その番組でやることは「渋滞で我慢できず大きいほうしちゃったの、野原で!」などと自分で大笑いしながら(周囲ではない)告白したり、掃除やアトピーの話ばかり。なにが女優だ!

 しかし、そんな憤懣も先日ブチ飛んでしまいました。
 とあるトークショーに出ていた一代の肩書きは唐突に「エッセイスト」に変容していたのだった。いっ、いつから!? 本来ならここで「よかったあ」と思うところだが……な、なんなんだこの胸の空虚感は。そんなことでいいのか一代。女が持ちうる中でも最高位に属する「女優」という職業名をそんな簡単に捨てちゃっていーのか!?


 いきなり話は変わる。
 私が子供の頃、近所に過去たった一人東大合格者を出した塾があった。そこの入り口には「東大合格者輩出!」と大きな文字で書かれた張り紙が貼られていた。ご丁寧に「東大合格者」のところだけ赤い墨のお習字で、それがなんとも晴れがましかった。
 しかしそれ以降は泣かず飛ばず、東大どころか早慶など私大へも門下を輩出することはなかったようだ。しかしながらいついつまでも、その張り紙は誇らしげに貼られていた。多分今でも千代に八千代に苔むしつつ、その張り紙はあることだろう。

 私は松居一代の「女優」という肩書きは、その張り紙同様のものだと思っていた。
(この場合「東大合格」という栄誉は「五社英雄監督作『肉体の門』出演」いう経歴に置き換えられる)
 そしてその張り紙のごとく、さざれ石の巌となりて「女優」という肩書きでいくと思ったのに……このザマだ! あれ、怒ってんのか俺は……? 好きだったのか一代を? 絶対違う。うーん……一代にとって「女優」という肩書きはそれほど重要なレゾンデートルではなかったのだろうか。そう、転職するなら伝説の「海老名みどり作家デビュー記者会見」ぐらい仰々しいことやってくれなくっちゃあ! ってアホか俺は。

 うーん……多分この胸のつかえは新たな「看板に偽りあり」感を感じているからじゃないだろうか。エッセイもそりゃあ書いてるんだろうが、実のところこの方のリアルな職業優先順序は「エッセイ<コメンテーター<掃除<栄一郎の妻」じゃないかと思うんだけどねえ。と、本当にどうでもいいことを考えた朝でした。勢いだけだねこの文章。